振り返ってみると、私のお笑い好きは、幼い頃から兆しを見せていたんですね。これを書いて発見した。
 しかし受験勉強のため、肝心の(??)「オレたちひょうきん族」は見ることができなかった。
 次は、中学生の頃。萩本欽一の番組がとても多かった。
 受験勉強を終えた私は、それまでより、少し多くテレビを見ることを許され、欽ちゃんの番組を欠かさず見るようになった。
 欽ドン欽どこ、中でも週刊欽曜日がすごく好きだった。ちょっとだけ、アメリカのシチュエーションコメディを連想させて楽しかったのだ。
 それからしばらくは、特に誰がどうということはなかった。
 ダウンタウンが大人気で、ウッチャンナンチャンも人気が上がっていた。
 「夢で逢えたら」も見たかったのだけど、体が丈夫ではない私は、早寝をしないといけなかった。だから深夜番組は見ることができなかった。まだまだビデオも普及していなかったしね。
 時には少し見ることができることもあって、そんな時、ユニコーンが、奥田民生が、一生懸命皆に楽器を教えていた絵を覚えている。シャイな人が静かに教えている雰囲気が印象的だったなあ。
 機会あって、ダウンタウンの漫才を見た時には、ちょっとした衝撃を受けた。
 プロの人たちが見て、どう分析するのはわからないのだけど、素人から見て、新しかった。まっちゃんのボケが尋常じゃなかった(笑)。ハマちゃんのツッコミも切れが良くて、演技なのか本当にびっくりしてツッコミを入れているのかわからなくなるほどだった。当然まっちゃんの演技力にも驚かされた。
 何を言っても、可笑しくて仕方ない。
 そう言えば、東京進出が決まり、関西の番組を終わるのは、当時の私たちにはちょっとした話題になった。
 当時は、さんまも若い子に人気が高く、友達でも大ファンがいた。
 あの頃はあの頃で楽しいお笑いの世界だった。