女性たちは、ハラスメントを受ける側として、「仕方ないのだ」と言い聞かせて我慢してきたし、勇気が出なかった。言ったところで、ほぼ誰も相手にしてくれないことも知っていたし、自分がその組織の中で立場が悪くなるからだ。居心地も悪くなるからだ。だったら出ていけ、どうせ辞めるんだとか言われることも多かっただろう。私もお金が貯まるまでの期間と、自分で決めていた。でもそれは入社面接の時に、話していた。私には夢があって、それを果たすチャンスは逃したくないから、その時には言うと。でもそれが女性だからとか男性だからとかでなく、辞める人は辞めるし、辞めたくない人はやはり働き続けたいだろう。やっと少しずつ表に出てくるようになったのに、セクハラされるようなことをするからだとか、対応が下手だからだとか、女性のどこか武器のようなものを自慢しているのだとか言われて、やっぱり口を閉ざすことも多い。
 でも思い返してみてほしい。特定の女性だけではないはずだ。多くの女性が我慢していることがあるはずなのだ。被害を受けた人が多数派ではないだろうか。被害を受けない人は、単に運が良かっただけである。「それに値しない人」というような発言をする人がいるようだが、そういうことじゃないだろう。そういうことを言ったりしたりする人は、正直、ちょっと身なりに気を遣っている女性ならほぼ誰でも良いのではないかと思う。女性を下に、甘く見ているからだ。だから無差別的で、多くの人がいやな思いをしているはず。なのに、そういうことを言う人たちに私たちは屈してしまっていた。謎の「女性だから」という理由で、言ってはいけないと思わせられていた。
 でも母親の立場になり、もし娘がいたらと思うと、この問題は我慢ならなくなってきた。息子が女性をそのように扱うことも私は許さない。女性はいつまで我慢し続けなければいけないのか。相手が少しでも隙を見せたら、何を言っても許されるのか。笑って済ませたら、しつこく声をかけられ続けなければいけないのか。相手がどのように感じているかを考えないのか。自分の「声かけやすいから面白い」という気持ちだけを押し付けないでほしい。にこやかな笑顔の裏に、どんな気持ちを抱えているか考えてほしい。自分が立場や力が強いなら、特に細やかに考えるべきなのである。
 パワハラだって同じだ。パワハラに関しても、甘い人がいる。その中に「自分はそうされてきたけど、後悔していない」という人が少なからずいる。それに対して、ある芸能人が「どうしてそういう人って、武勇伝みたいに語るんですか?」と呆れて笑っていたことがあった。本当にそう思う。それの何がカッコいいものか。その人はそういう場に身を置いても頑張るタイプの人間だったし、頑張ってきたんだねというだけだ。私は「自分もそうされてきて、それを耐えてきたから」と発言する人を、自分と向き合えない、考えない人だと思っているし、保身だと思っている。自分もやって構わないだろう、責めないでよ、っていう。本当にそれが自分のためになったのか。単にそれを経て今があるということだけではないか。誰にでも通用するやり方なのか。周りが、例え自分の子供であれ、自分とまったく同じ感覚を持ち、同じ性格で同じように感じるとでも思っているのだろうか。個人個人の元々持っている素質、思い、環境、育ちによる人格形成を軽く見ないでほしい。