相手にとっては「フザけているだけじゃないか」「過剰反応だ」「冗談もわからないヤツだ」「本気なわけないよ」ということだったとしても、浅い傷を少しずつ重ねて深くなっていく感じがした。
 よく「その気もないのに、何度も応対する方が悪い」ということを言う、特に男性がいるが、段々としつこくなって、こちらも段々といやになっていく過程というものがある。最初はフザけているんだと笑って済ませることができても、しつこくて積もっていくとそういう気持ちも負担になってくる。これをイジメに置き換えてほしい。一発フザケてたたいて、それを笑って済ませていたら、段々とエスカレートしていくパターンもある。最初はこちらも面白く笑っていても、段々腹が立ってくることってないだろうか。最初から見極めることが難しい場合だってある。イジメは、イジメられた側にも原因がある、という考え方も問題だ。イジメられるような要素があったとしても、それはイジメて良い理由にはならない! それにイジメられ始めた時点で、イジメられている側は何らかの弱みを握られていて、それが例え人と違うことや、身体的なことでも、それがもう立場の上下を物語ってしまっているからだ。何か気に入らないことがあるのなら、友達にならなければ良いだけだ。無視するという意味ではない。仲間外れという意味ではない。やり過ごせば良いではないか。イジメて構うことが、イジメられる側の苦痛。
 セクハラだって同じだ。
 事務員として働いていた時も、飲み会の席で、お酌する女性をあからさまに「気が利いて好きだ」とデレデレする、立場が上の人がいた。私は元々気が利かないが、それを聞いてますますお酌するのがいやになった。さらには後から考えると、普段特に親しく話していなかった別の人に私は気に入られていたらしく、その人を交えてごく少人数でちょっと高級な食事についていかされたことがあって、不思議に思っていた。働いていた時にはまったく気づかなかった私も鈍感だったのかもしれないが、皆でカラオケに行った時に、ベタベタと肩を組んできたりしてデュエットさせられたこともあった。お酒で酔っぱらっていて臭くて、泣きそうな思いをグッとこらえて「こんなものなんだ」と言い聞かせた。その人がこっちを向いて歌う度に知らんぷりをしてカラオケの画面を見た。幸い、他の男性社員たちの多くが皆紳士的で、その人のそれ以上の絡んでくるのを制してくれたり、私が早めの帰宅のために帰りに駅までついて送ってくれたりした。
 こういうことを私たちが、仕方のないことだ、これで過剰反応したらその場の雰囲気が悪くなる、とか我慢してしまっていたことは、次の世代の女性たちをまた同じような思いをさせて苦労させていることになると思う。それに関しては本当に良くなかった。
 そんな中で声を挙げることができた人は、とても勇気のある人である。自分を大事にし、守り、はっきりと自分の立場を主張できる人である。それは最近ようやく少しずつ表にあらわれてきた。
 マスコミが取り上げるようになったのは、とても画期的なことだと思うし、声を挙げる女性が出てきたのも素晴らしいことだと思う。