このことは、デリケートな内容で難しいから、あまり書く気がしなかったというか、どのように書いたら良いのかわからなかった。
 セクハラ、パワハラについて。主にセクハラについてである。最近のニュースで、私は怒りを感じている。感じているし、思い出している。
 思い返せば、モラハラについて、延々と書いたことがあったので、うまくまとまらなくても、自分の考えを書こうと思った。
 こういったハラスメントに関しては、相手がどう思うか、どのように受け取るかということが言われている。法的な考え方や定義を私は知らないから、程度の問題と考えるしかないのだろうか。でも本当に些細なことをいちいち訴えてくる人も出てくるかもしれないと、疑い始めるとまたキリがなくなってくるものである。
 ただセクハラについて言えることで、声を大にして言いたいのは、「こう言ったら喜ぶだろう」という気持ちが透けて見えての言動が、立場の強い人から立場の弱い人に向けられることが不快であることに、加害者側はまったく気づいていない場合が多いということである。力や意志の問題ではなく、「立場」の強い弱いである。自分が上の立場にいるということを自覚して発言したり行動したりしていることに対して、卑劣だと言いたい。
 喜ぶだろうと思っていないとしても、自分の欲望にまかせてのおふざけだと思っている言動が、女性をいかに不快にさせているか、何をどう間違えているのか気づいていない。いったいどのように意識すればそういう思考になるのだろう。
 私は電車で痴漢に遭ったことがある。多分多くの女性がそうであろうが、そういうことで自分が女性として認められたなんて思ってはいない。だって、別にどんなタイプだろうと痴漢には遭うからだ。それを「女性として意識」とか本当に腹が立つ。そう、「腹が立つ」。ただそれだけだ。しかも私はまだ幼い中学生だった。二日連続で同じ痴漢に遭った。最初の時に、ただ体の向きを変えただけでは甘く見られているのだとわかり、でも声をあげるのが怖くて、次の日は必死で体をよけて、その時に偶然足を踏んだ際「すみません!」と、わざと周りにも聞こえるようにうっとうしそうに言った。次からできるだけ乗る場所を変えた。どちらの日も顔は見ることができなかった。怖かったのだ。どういう人かと認識することも、顔を見たら逆上するかもしれないことも、その後急に執着されるかもしれないことも。他にも違ったタイプの痴漢たちに遭ったが、意識的に無視した。不愉快だった。
 デパートで働いていた時、ケーキ屋から派遣されての店内だったが、デパートのお偉いさんが、ショーケース越しにやたらに私に声を掛けてきた。その店の中のケーキを今度一緒に食べに行こうよという、最初はフザけているだけの、からかっているだけのような言葉や態度に、私も面白がって、笑ってやり過ごしていた。でもあまりにも毎回通り過ぎる度にしつこくて、周りの店員が、私に関心があるのだとからかい始めた。強い立場の人だったので、それから少しずつ丁重に断り始めたが、すると「どうしたの」「つれないねえ」などと言いながら、まだ何度も誘ってきた。これが相手にとっての言葉遊びだとしても、私は段々不快になり、苦痛になっていった。