彼女と私の、映画との対峙の仕方が全然違う。彼女は比較的、外側から観ることができている。俳優も作品も。きっと監督や映画音楽を作った作曲家まで。もちろん内容の良さとか心が動かされるとか、そういったものも含めて観ているのはわかるが、彼女の観方は私からすればかなりドライである。演技力、歌唱力、歌の良し悪し、ダンスの上手下手さなどを分析し、それが映画の良し悪しにまで判断されるようである。でもドライでありながら、好みは割とウエットな方なのではないだろうか。私と観方が全然逆と言って良いかもしれない。そりゃ私も演技が下手なのは目につく。歌も上手でなければ気になってしまう。だけど、最低水準が割と低い。そこをクリアしていればあまり気にならない。あとは内容、映画の登場人物としての心情や作った側の意図で心を簡単に動かされる。
 私は自分の今までのこのカテゴリーのエッセイを読み返しながら、映画の筋をどのように感じ、映画の中の登場人物やセリフをどのように感じ、単純にその中に入り込んでしまってあれこれ書いている。外側から冷静に観ることができる彼女は批評家になり得るけど、私はあくまでも、映画を観ることによっての、「自分の心の中の変化」が面白いだけなのだ。
 お互いそれぞれの楽しみ方の一つなのだろうから、これもまた良いと思っている。彼女の意見や感想、考え方は、私にとっては新鮮で、又、彼女の見知っている映画について話題になった時に、ちょっとだけ彼女の知識をさも知っているかのように披露しちゃうことはできるかもしれない。でもつい正直に、「……って、友達が言ってた」って、自分に笑いながら言っちゃうだろうけど。
 いずれにしても、彼女は私の観方をどのように思っているのかは少々気になる。幼稚で浅いとか思っているかもしれない。そんなことないとか書いてくれるが、でも内容を読んでいると一目瞭然。彼女は深く掘り下げた考えさせられる映画が好き。じわじわ来る映画が好き。俳優に関して、演技力や歌唱力をよく感じ取り、評価する。同じ監督のものの作品を比べてみたりする。どのようなつくりであったか、分析し、批評する。
 ああしつこいが、本当に私にはない視点。私のなんと単純なことか。すぐに映画の中に入り込んで、よほど目に余るような演技でなければ、その俳優云々ではなく登場人物として見て、ストーリーの中の「その人」について語る。全然違う。
 唯一惜しいことは、その違いについてある種のショックを受け、それについて論じたい私に対し、彼女はサッパリいきたいところだ。彼女にしたら、私がそういう度に動揺して、謝ったり、彼女を傷つけたのではないかと心配したりすることが恐縮のようだけど、私はむしろそのショックを面白がって、深く掘り下げてしまいたいのだ。私は自分の心の動揺が反射的なものだとわかっているので、そういった動揺に対して客観的になれる。あなたはこう、私はこうで良いじゃない!というのも、お互いを尊重していて素晴らしいが、あなたはこう、私はこう、どうしてだと思う? 不思議で面白いと思わない?ほらここも違うよ!と、こねくり回したくなるのが私。でもそういうのって人によっては面倒だろうと、理解もできる。ただお互いに、これで嫌悪感を持たない、それでも相手を尊重する、という共通点はある。この辺が前向きな私は、まだまだ彼女との会話を楽しむことにしている。