Hspについて書いていると、やっぱりこんなのではいけないのではという思いがよぎる。
 友達も「しんどいから、やっぱりもう少しこんな風にいちいち感じるのをやめたい。良い意味で鈍感な部分も大事では」と言っていた。すごくうなずける。これも後々書いていくが、感じ過ぎて大変なことは確かにある。しかし長所もたくさんあるのだ。多数派ではないから否定されるかもしれないけど、大事にした方が良い面もある。「直す」ということではなく、生かしていけると良いと思う。なかなか難しいとは思うけど。
 ちなみに、このように文章を書くことを好む人もとても多いばかりでなく、こういうタイプは「書いた方が良い」らしい。もちろん書くことが面倒な人もいるだろうから、何かしらの方面でこういった気持ちを発散、表現した方が、気持ちの安定のために良いらしい。一人で何かをすることが苦にならないどころか、自分の精神状態を安定させるために好んで一人でいるらしい。一人カラオケにハマりやすい人もそのタイプだという。なんだよ、じゃあ私、一人カラオケ、あっているのか。歌うことが好きだということもあるけど、下手なのに続けているのは楽しいからという単純な理由がある。何より何とか上達しないものかという気持ちが強いのだけど。まあそれだからレッスンにも通っているんですけどね。何とか上手になりたいけど……歌の話は置いておきましょうね。
 一人でいることの利点に、空想にふけることができるということもあるらしい。Hspは、空想にふけりやすいという特徴があるという。これも私そのものだ。特に学校の授業で違うことを考えてしまうのはもう小学生の頃から、いやなんなら幼稚園の頃からちょっと自分で不自由に感じ、持て余していたくらいだった。大事な指示をとても簡単に聞き逃している。授業中にとんでもない空想の世界に入り込んでいく。でもみんなそんなものだと思っていた。大人になった今でも、保護者会でそんなである。マズイのだ。息子に頼っちゃっていることだってあるくらいだ。このファンタジーはゲームで発揮されていると思う。そう、hspはゲームにも向いているらしい。一人でゲームを楽しめることもそうだが、ゲーム中に話しかけられるとまるで上の空なのだ。現実の世界との行き来がとても苦手。映画や本の世界に入り込んで、何日もそこから抜け出せないのもhspの特徴の一つとか。
 以前、エッセーの本のカテゴリーにも書いたが、ファンタジーを読んでいる時に入り込み過ぎて、大人にもなって「これって本当にあったことかなあ?」なんて、正気の時に考えると恐ろしく恥ずかしい質問を夫にぶつけたことがある。本当に頭を抱えたい気持ちだ。だけどその時は入り込んでいたものですから。仕方ないんですね。
 とにかく一人でいる時間を大事にするこのタイプは、人数の多い集まりが苦手だとのこと。これで私はまず息子の保護者会がものすごく苦手なことに説明がついた。友達は一対一が良いというのも、社会性が欠如しているのではという思いを抱えつつ、でもこれが快適だから、できるだけ三人以上は避けたい、思っていた。幸い、心理学やカウンセリングを勉強していたおかげで、自分からストレスを抱えてそれに打ち勝とうと頑張らなくて良いと知ったので、できるだけ避けるようにはしている。