中学高校時代の同窓会があると知らされて、出たくないという気持ちになった時。
 もちろん、今までここに書いてきたような、女子グループ内での確執を考えて、あの子たちに会いたくないという気持ちはあった。だけど、それと同じくらいの気持ちで「会いたくない人たちもたくさんいる」と気が付いた。
 少しずつ自分の気持ちに整理がついて落ち着いていったが、その気持ちはまたかき乱されることになる。同窓会に来た人たちの集合写真をもらったからだ。私が元気かと知りたい人は何人かいたが、その彼女たちがその写真に載っていたかどうかわからない。何故なら、全員が写っていると一人一人の顔が小さくてよく見えないからだ。老眼鏡をかけて、一人ひとり穴があくほど見つめた。でもわからない人が半分以上いる。
 この事実にまず驚いた。私はこういうことに関してだけは記憶が良い方である。当然通っていた頃は180人全員を把握していたし、名前もわかっていた。皆もそうだと思う。6年も通えば、話さない者同士でも、お互い顔と名前くらいは一致し、だいたいの性格や雰囲気もわかる。中学一年の途中から、イジメもすっかりなくなって、お互いを認め合う雰囲気もできていた。それにしても、私はしっかり名前を憶えて顔も憶えている自信があったのに、写真を見て、半分以上がわからなかった。出席者はざっと90人くらいだった。わかる人もいたが、あまりにもわからないことにショックを覚えた。化粧でわからない人もいるだろうし、年齢がわからなくさせた人もいるだろう。それでも面影で何とかならないものか。愕然として写真を見続けた。「これ誰だろう」。真剣に考えてしまった。でも、次々と出てくる「これ誰だろう」。「○○さんかな。」とか適当に考えてみる。「ちょっと似ている。……気がする」とか見当をつけてみたり。
 そして、わかる人もわからない人もいるその大きな写真を見ながら、あんなに大好きだと思っていた学校の同級生たちが、ものすごく遠いところにいるのを感じた。もちろん物理的に距離が遠いのだけれど、気持ちがもうそこにいる人間ではないことを感じてしまった。
 中学一年から付き合いがあり、高校卒業以降に間違いなく私の親友となった二人は、大学受験でそこの学校を出ている。この何年かで、過去の友人のことで葛藤した時に、その二人に「何故大学は違う所に行こうと思ったの?」と聞いたのだが、二人とも「ここは自分の居場所ではないと感じた」というようなことを言っていた。ちなみに二人とも、それぞれ違う雰囲気の同級生たちに人気があって、取り合いみたいになっていた。何故そのように感じたのかも、それぞれに違うようだけど、当時の私にそんな気持ちはなかった。その学校が大好きだったし、友人たちのことを大好きだと思い込んでいたので、その学校から出たいという気持ちにはまったくならなかった。
 でも、この数年で感じたこと、思い出したことは、私は無理をしていたということだった。