老眼鏡をかけ始めて知ったことがある。
 いくつかは今までにここでも書いてきた。「わあ。細かな字が見やすい!」という当たり前のこと。料理の時に顔をレシピ本や紙に近づけたり遠ざけたりしないでも大さじ何杯かわかるし、冷凍食品の加熱も何分かわかりやすい。パソコンを打っている時も、あごをすごく上げて打つなんていうみっともない姿勢もしないで済む。字がくっきりだけでなく、大きくすら見える。
 しかしまだ慣れていないからなのか、遠くを見る時に眼鏡をはずした瞬間というのは人の顔が全然見えない。もう老眼鏡をかける前から人の顔は見えづらくなっていたので、ちょっと距離がある人の顔は見なくなった。ジロジロ見るのも失礼だし、ちょっとだけだとしても距離があるから知り合いであろうとなかろうともう良いやという気持ちになってしまった。だけど老眼鏡をかけた直後というのは、もっと見えない。顔の輪郭くらいだ。ちょっと遠くで、のっぺらぼうに見える人がひょこっとお辞儀をした時には何となくお辞儀をし返してから「あっ。あの人だったのかな」と後で確認してみる。
 そして老眼鏡をかけている間も近い距離の物しか見れない。遠くの物を見ようとするとあまりにもぼやんとして景色がユラユラ、気分が悪くなるのですぐ外す。だけどこうやってパソコンを打ちながらふと遠くの物を見たくなると手はふさがっていていちいち眼鏡に手をやるのが面倒で眼鏡の上から遠くを見る。そしてそんな自分に気付いた時に「うわあいやだ!」と思う。よくアニメとかドラマとかで眼鏡をかけたおばさんが、眼鏡の上から上目遣いに人を見る時に「何でそんないやな見方をするんだろう。怖いわ」とか思っていた。自分がそんな風にして周りの景色を見ているのかと気づいた。なので、できるだけ面倒くさくても眼鏡を手で外して周りや遠くを見る。そしてそうした方がマナー的に良いというのも、夫から聞いて知ったことだ。
 さらに。老眼鏡ではカバーできない乱視の存在を知った。最初に老眼鏡を作りに行った時に「乱視も入っていますね。むしろそっちの方が強いですね」と言われたのだが、一度に二つも作ることに気兼ねしてしまい、もうちょっと後で良いと思っていた。ところが夜の運転が結構厳しい感じになってきたので、夜の運転専用の眼鏡も作ってもらうことにした。夜の運転では、母がよく言っていた「まぶしいわあ〜!」という不満である。そんなのちょっと目をそらせばすぐ元通りと思っていたけど、最近、そのレベルじゃなくまぶしく感じ、なるほど母が言っていたのはこういう感じなのかと納得した。多分これもその範疇だが、以前より夜道がとても暗く感じるのだ。信号機もにじむし、何と言っても対向車にしてもこちらとの距離感がよくわからない。これが一番怖い。ああ運転しにくい、と苦痛なので、そうやって眼鏡をかけると、あらそれほどでもない。眼鏡の力を思い知るのだ。
 でもほんのちょっとしたことらしく、眼鏡屋さんに「これ以上は度を下げられないです。下げたら多分裸眼と同じです」と笑われた。そうなのか。ずっと目が良かった人は、ちょっと悪くなることに敏感だというが、どうやら私はその典型例らしい。
 とにかく、眼鏡に助けられることを知って、快適なのである。