日本人の声は、伸びがあって美しく、上手な人はたくさんいる。でもロックな感じがどうして出ないのだろう。特に女性は。
 まずは、スカーレット・ヨハンソンの『Set It All Free』から考えてみた。
 一つには、この歌詞に原因があると思った。スカーレット・ヨハンソンの抑揚を感じながら、何でここはこんなかすれた感じにしようと思ったのか。何故ここは切なげなのか。
 英語の歌詞を追えるようになる理由の一つに、歌詞の意味を感じるということがある。何となくわかっている単語は自分の解釈でも良いとして、全然わからない単語は調べ、ニュアンスを感じ取る。私はちゃんとした訳や気の利いた訳はさっぱりなのだけど、帰国子女なのでニュアンスを感じ取ることができる。それを日本語に訳せない言葉や表現の貧しさや努力不足があることも認めている。そういったことを念頭に入れてこの歌詞を追っていると、この歌詞は「男の人に振られても、私は負けないで立ち上がるのよ!」……だけではないのである。全体的にはそうなのだが、この一曲の歌詞の中に、揺れる切ない気持ちがあったりするのだ。その上で「だけど私は吹っ切ったのよ!」と強く前向きに歌い上げる。歌詞の中には、詩の言葉がある。そうすると一文一文に感情を込めたくなる。スカーレット・ヨハンソンの歌声の抑揚が理解できるようになる。
 幼い頃、ニュージャージーでの音読の時間、私は先生に何度も注意を受けた。読み方に感情がこもっていないと。次こそはと心の準備をして臨んでも、やっぱり注意を受ける。同じグループの日本人もやはり注意を受けていた。「!」マークがあるところでは、「もっと!もっと大きな声で!もっと!」と煽られた。声に迫力もないのだろうけど、感情を込めるということが何となく恥ずかしかったのは、慣れていないということもあったと思う。
 一つの曲で、「こういう気持ちで」と歌うのではなく、一つ一つの文、少なくとも段落ごとにその歌詞を感じて感情移入して歌うというのは、相当入り込まないといけない。もしかしたら幼い頃からの訓練で、外国の人の中には慣れている人たちがいるのかもしれない。
 では日本人はそれが難しいのか? 声が細いけど迫力も出して美しく歌う人は多い。だけど、女性のロックミュージシャンは歌い方が一本調子か、ポップスの曲で一本調子じゃないのに飽きてしまう人が多い。改めてしっかり色々と聴いてみると、たくさんの色の声を持っている人は少なくはない。一曲の中でも。なのに、何故一本調子に聞こえるのか。
 その中の一つの理由に、無駄にビブラートを利かせている人が多いと気がついた。一曲くらいは良いけど、すべての曲の1フレーズ毎に伸ばすところ伸ばさないところに関わらずビブラートを利かせることで、アルバム全部を聴くころには飽きている。
 そういったことに気を配りながら歌っていけば、少しはロックな感じになるのだろうか? とりあえずしばらくは頑張ってみる。曲を歌う時、私に一番足りないところは、入り込む気持ちである。英語なら気持ちを込められるかもしれない。
 ちなみに面白いもので、日本の曲を、あまり感情移入されるとおかしなことがある。訥々と歌うことが染みるのであって、そんなに抑揚つけないでと、外国の人が歌っているのを見て思うことも。特に童謡とか古い曲はそう思う。