ヴォーカルレッスンを始めたために、音楽関連で色々今までと違ったことを書く楽しみがあるが、楽器をすっかりあきらめたわけでもない。昔取った杵柄で、どうにもピアノへの未練がある。だけど、「昔ピアノをやっていた」と言えるほど譜面が読めるわけでもないのがどうにも残念である。
 もちろんまったく読めないわけではなくて、すごく時間をかければ半分ちょっとくらいはわかる。だけど、曖昧な所は、母にお手本を弾いてもらい、耳で聴いて「なるほどね」とその通り弾くことでごまかしていた。これは私だけではないようで、やはり母親に音楽の先生がいるという友達がいるのだが、同じようなことを言っていた。「わからないところはお母さんに弾いてもらっていたから、結局譜面を読めるようにならないんだよねえ」と。多分その人もだと思うけど私も「読めるようになりたい」という強い気持ちがなかったのだろう。だからいつまで経っても「初見」ということができなかった。
 ある一曲を人並みに弾けるようになるまでも時間がかかったと思う。それでもピアノの音色が好きだったので、なるべく続けていたし、母が「一日一時間はやらないと」という言葉をなるべく守って弾いていた。当時は上手にはなりたかったのだ。ショパンの「ノクターン」や「子犬のワルツ」まで行き、ここからという時に私は諦めてしまった。まず手がいつまで経っても1オクターブ届かないことと、難しくなってくると、シャープやフラットの嵐で音符を追うことが面倒くさくなってしまったのだ。
 小学4年生の頃、「人形の夢と目覚め」という、最近何故か風呂のお湯がたまった時によく使われる曲が気に入ってハマってしまい、弾けるようになってもいつまでも何度も弾いていたのを覚えている。5年生からは進学塾が忙しくなって、そのまま中学受験に突入したのでピアノは辞めてしまっていた。中学三年生の時に「復活したい」と一時的に復活して「トルコ行進曲」を弾いた。そしてまた辞めてしまった。大学生の時にようやくまた始める気持ちになったけど、上に書いたように「ノクターン」「子犬のワルツ」が弾けるとまた辞めてしまった。だから、私にとってその程度は「弾ける」うちに入らない。
 最近、テレビを観ていると、その程度弾けるだけで「ピアノが弾ける」と、素人くさい出来でピアノを披露しているタレントがいる。観ていて痛々しく恥ずかしくなる。こんなのその気になれば、ピアニスト目指さなくても小学生のうちに弾けるようになるよ、と思うのだ。
 だけど。だけどです。だけど。
 「こんなの弾けるくらいで、ピアノが弾けるとか恥ずかしい」と言っている自分が、もう弾けなくなっている。そういうことを言う自分が恥ずかしい。「こんなの」と言うなら、そのくらい弾けるようになればどうだと自分に言いたい。
 いつになるかわからない。ほんのりある「またピアノ弾けるようになりたい」という気持ちが強くなったら、またピアノを練習したいなあ。するのかなあ。