以前、「ハラハラドキドキなアクション物が疲れて苦手になっていってしまった」なんて書いたけど、観ないわけではない。なるべく避けているというだけで。うっかりテレビで『ダ・ヴィンチ・コード』を観てしまった時は、怖くてもう結末を観ないことには今日一日が終われないと思って、観続けた。結果、一日が終われないどころか夜眠れなくなり、暗闇の中で「眠れない!」と悶々としながら翌日またいで苦しむことに。他に、別のカテゴリーで書いたように、痛そうなのが苦手なため、暴力的なシーンはできるだけ観ないようにしているし、暴力的じゃなくても痛そうなシーンは目をそむけている。目にしたらやっぱり眠れなくなりそうだ。目を閉じたらきっと何度もそのシーンが表れ、必死で振り払っても「痛そう」「どんな気持ちだったか」と恐ろしくなる。痛そうなのが悪役であってもやっぱり「どんな気持ちだったか」はつい頭をかすめる。
 そんな中、何年か前に夫が『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を観たいと言ってきた。もう映画宣伝の時から、暴力丸出しの映画だ。観たくない。と思ったが、夫は「だって、あんな可愛いアライグマが活躍しているんだよ。コメディの要素も強いし、暴力的にしたって可愛いんだから許せちゃうよ」みたいなことを言って、私を言いくるめた。可愛いアライグマ……。確かに可愛い。もちろん完全にダマされたわけでもなく、覚悟を持って観たけど、やっぱりコメディ要素のある殺伐とした暴力的な映画、という印象が残ってしまった。ただ、コメディ要素も結構強かったため、残酷なシーンも、あまり深刻に「ひーっ!」「痛そう!」とか思わないように工夫されていたのかもしれない。そういったシーンがなくはなかったけど、やっぱり目をそむけていたし、多少はそういった要素がクッション材にはなっていたようだ。まあまあ……ひどくはなかったわよね、てな感想。もちろん本質的には家族愛とか仲間の絆とかのことが描かれていて、さらに使われている音楽がロックで、夫がそういう組み合わせを好きだというのも知っているので、うなずけた。登場人物それぞれが家族を失った悲しみや確執を抱えて、仲間になる。そう、本質的にはそう。少しずつ皆が心を開いていく様子。少〜しずつお互い心を開き、お互いを信頼しあっていく様子。皆に胸が張り裂けそうなほどの辛い過去があり、悲しみを持っている。そして最後まで「この登場人物はどうなのかな」と思う存在が、最後に身を挺して仲間を救う。……というような内容だった気がする。で、そういうのがほんの少し盛り込まれた乱暴な映画、って感じかな。宇宙をまたいだ映画って、ここはどこの惑星?という架空の星があり、その殺伐とした風景に気持ちがザラザラしてしまう。地球もこうなってしまうのでは。争ってばかりで、戦ってばかりで、画面的にも辛い。しかし何より戸惑ったのは、アライグマは完全な主役ではなかったということである。しかも私たちには見えているけど、完全なCG。観ているうちに「あれっ? 主人公じゃなくはないけど、厳密には主人公では……ない??」と気がついていく、そこはダマされた感じが拭えなかった。
 そして『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』が出た。