老眼に関することだけど、その後台所仕事で眼鏡をしょっちゅうかけているのかと言えば、そうでもない。
 プリントアウトしたレシピや、料理本などは、鍋の向こうの壁に貼るなり、置くなりしている。IHなので、その辺りはありがたい。炒めたり煮たりしながら続きを読むことができる。しかし、文字がぼやけることが多々で、首を伸ばしたりじっと見据えないと読めないことも多々ある。本まではちょっと距離があるわけで近くが見えないわけじゃないので、老眼ではないだろうと思いつつ、老眼鏡をかけたらどうなるかなとある日、何となくかけてみたら、アラびっくり。くっきり見えるではないか。ああそうか、この何重にも見える感じも老眼だったのか。ちょっぴり愕然としつつ、くっきり見えることの楽しさにハマって、何度もかけ直して文字を追っては、ニヤリとしてしまった。こんなに見えるんだ。
 それともう一つ、これは老眼のせいではないかとではないかと気になっていたことがある。パソコンでこうやって文章を打っている時に、気が付いたらアゴがものすごく上がっていることなのだ。下目使いとでも言うのか、気が付いたら随分首を上に傾けてパソコンのキーボードを打っている。自分で変だとハッとして首を戻す。戻す時に首がこっていることに気付く。これはマズイ。老眼のせいでこんな風になっているのではないだろうかと気づき、老眼鏡をかけて文章を書いてみた。するとアラ不思議。アゴがあがらない!
……不思議ではないですね。いやあ、本当に読みやすい。アゴが上がらないのはもちろん、字はすごくクッキリ見えるし、なんならちょっと字が大きく見えるのでは? とすら思う。とにかく下目使いみたいな変な角度でパソコンを打たなくて済むことがすごく嬉しい。傍からは、おばさんが老眼鏡をかけてまでパソコンしに来ているように見えるんだろうけど。
 こうやってカフェでパソコンを打っている自分がますますオシャレでなくなっていることを感じている。本当に、カフェでパソコンをしている人を「オシャレを気取っている」という偏見でみることをやめていただきたい。服も別に部屋着じゃないという程度で普通だし、肘をついていたり背中を丸めたり、こうやって老眼鏡までかけているのだから。とにかく落ち着いて集中できるからカフェで作業しているのだ。図書館だと静か過ぎるし、家だと家事が気になるし、カフェは色々と便利なのだ。もちろん人がたくさんになってきたら、時間にも気を使い、席を立つ。でも、田舎であるここら辺りで、混むということはほとんどないので、割と長居できる。ああでも私みたいな人は、オシャレを気取ってるとか言われないのかもしれない。何故ならおばさんだからである。若い人が言われちゃうのかな。でもパソコンしてるからちょっと気にしちゃうのだ。集中しやすい環境がこれなら、もっと一人で入りやすいカフェをたくさん作ってほしいなあ!
 ちょっとカフェのことに話が移ってしまったけど、とにかく、老眼鏡を作って良かったとつくづく思う。