しつけどころではない息子だったが、私がそういったことで甘やかしていたわけではない。ダメだということは理由を話して納得するまで何度も言い続けた。理由を話すと、納得してくれる息子なのだ。ただ、納得しても、なかなか行動に表れない。わざとやっているのではと声を荒げたこともあるが、これも「できないんだよ!!」と大泣きされたことが何度かあった。
 「できない」ということは、息子の大きな劣等感になり、それが多く重なってくるとストレスになるのが見てとれた。
 息子は同じ年頃の子供たちと比べてできないことが多かった。それでも私は根気よく言い続けた。息子自身のことを思って言っていることは、とにかく毅然と言い続けなければいけないと思った。叱って言うことを聞くような息子ではなかったし、それで言うことを聞いたとしても、風船のようにどこかを押せば別の所がプクッと出てしまうように、納得していないから別の場面でストレスが爆発し、それはまたこちらにはよくわからない理不尽な理由で大号泣するのだった。
 「発達障害」ということも心配していた。息子の幼い頃が割と当てはまったので、そうではないかと疑った。でも幼い頃の男の子にそういう傾向の子は多くて、素人判断はできなかった。「こだわりが強くて、親が追い詰められる」といった言葉を見た時に、ああ他にもいるんだとホッとした気持ちと共に、チェック項目を見て、あてはまる所もあれば、あてはまらないところもあることに、私の気持ちが揺れた。周りで、そういったことに対する偏見が、それを否定させることにもなり、常に私は不安だった。きっと違うよ、という言葉は、まったく慰めにならなかった。何故なら違うということで、じゃあどうして息子は他の子が当たり前にできることができないのか、ということにつながってしまうからだ。息子のせいかもしれないし、親である私のせいかもしれない。私は常に自信を持てない状態だった。私のせいかもしれない。甘やかしてきたのか。
 そうではないはずだ。私はできる限り子供の「スキンシップしたい」に応え、子供の意見を一度は聞いて、良いと思えることに対しては尊重してきた。だけど、先回りして何かを買ってあげるとか、要求を予想してそのようにしてあげるとか、「それはちょっと……」と思うようなことも聞いてあげるとか、そういったことはしてこなかった。それでも子供ができないことを、親の怠慢だと、中には責めてくる先生がいた。
 一人っ子だからとか、私に対して「兄弟のいる環境を知らないでしょう」とか、大事にされ過ぎとか言われて、私はひどく傷ついた。二人産めたら生んでますよ!と言いたかったけど、言わなかった。言ってやれば良かった。兄弟のいる環境は夫にも私にも男兄弟はいて知っているし、友達の子供たちで男兄弟のいる子は多かったのでそのやり取りを目の当たりにもしてきた。そして男兄弟それぞれに対して、私より心を砕いて育てている家庭も他に幾つか目にしてきた。男の子同士のやんちゃなことにも耐え得るはずだと思っている先生は、私の息子のような特性を理解できないようだった。「3年生が最後のしつけ時!」と言って、私を焦らせた。