子供が泣くことで、親が周りの人目を気にするのは当たり前だと思う。だって世間は子供の泣き声に厳しいし、今でもそうだからだ。
だから、親は泣き止ませようと躍起になる。私はそういう親がいると「良いんだよ、子供が大泣きしたって。そんな時もあるよ」と思う。
 息子が幼稚園で大号泣して困ったもう一つのことは、運動会の時に、家族三人分のお弁当を作って行ったら、「いつもの一人一人のお弁当ではない!」と言い出した時だ。ええっ?! 年長にもなってそんなことを言う?! 驚き呆れた。和やかな運動会のお弁当タイムは私にとってすぐに地獄と化し、夫は息子をかついでグランドを出なくちゃいけないくらい、息子は大号泣を続けて、その場の雰囲気をぶち壊してしまったのだ。私は一人で待った。朝から一生懸命作った楽しそうなお弁当を前に、やっぱり泣きたくなった。私の友人が「どうしたの?」と声をかけてくれたが「なんかわからない」とか「お弁当が自分の思ったのと違ったって言うの」とか言ったと思う。その場で泣き崩れてしまいたかった。
 小学校に入っても、時々参観日の下校の時に泣いた。参観中はこらえられるようになったようだったが、下校班で集まった時や私と二人で下校する時に何かしら文句や不満を言っては泣き出した。とにかく泣きたい気持ちを、私に絡むことで泣く原因を作って自分で泣いている、といった風だった。
 家でも宿題の時に、ちょっと間違いを指摘しただけで、私の落ち着いていた気持ちを取り乱すくらいにひっくり返ってわざわざ大泣きした。時間割を揃える時もいちいち「いやだ!」と大泣きした。毎日である。本当に毎日。
 やっとそういうのがおさまった3年生の頃、今度は宿題がいやだと言って部屋の中で毎日大暴れするようになった。教科書やノートを放り投げて壁にぶつけていた。泣き叫んでいたので近所に丸聞こえだったはずだ。一時間くらい大号泣を続けると、静かになって宿題をしていた。これも毎日。こんなだから、ちょっとしたしつけをしようと思っても、一言二言何か指摘しただけで、それに見合わないくらいの大号泣。またもやわざわざひっくり返って、少なくとも数十分は大声で泣く。
 とにかく落ち着いてくれ。
 私の気持ちはそれだけだったと言っても過言ではない。「落ち着いてほしい」。
 情緒というか、穏やかな気持ちを持った子になってほしい。しつけはその後だ。と思った。親が恥ずかしいとかそういう気持ちはもうとっくの昔に捨てた。
 子供が自分の気持ちを話せるように仕向けよう、自分の気持ちを言葉で表現できるようになってもらおうという考えは、息子が2歳の激しい反抗期の時から持っていた。そうしたらこの激しさも落ち着くのではないかと。言葉にならない感情を持ち続けていたら、いつ爆発するかわからない感情を持ったまま思春期に入ってしまう。と。
 正直、しつけどころではなかった。