なくて七癖と言うが、「色の白いは七難隠す」が、八難以上ある人は一難ある人より大変じゃないか!というおかしな主張をした時と同様の主張で、私にはたくさんの癖がある!
 なくて七癖だから、あると自覚している私は、プラス幾つもで、相当な癖の量だ。
 お笑い芸人千鳥のノブがよく「癖が強い!」とか「癖がスゴイ!」とか言っているが、私の癖は多分強くもなくすごくもなく、ちょっとした癖である。でも癖だから、治そうと思ってなかなか治るものでもない。
 喋る時の癖もある。「あのーー」がやたらに多いし、話のきっかけですぐに「あれね」とか「あれだよね」とか言ってリズムをつけてしまう。やめたいのだけど、つい言ってしまう。とにかく話すのにモタモタしてしまう。
 行動に関しては、以前にも書いたことがあるが、本来動かすべき物と逆の物を動かしてしまう。納豆をかき混ぜる時に皿の方はまだしも、麺類をさますために、麺を箸ではさんで上げた後、どんぶり鉢の方を上下させているのは、まったく意味のないことだと思う。これはそういうお椀を上下させている最中に気付いて可笑しく思ってしまい、慌ててお椀を上下させるのをやめる。意識している時はやらないが、時々気が付いたらお椀を上下させている。何かを開ける時も、フタの方ではなく容器の方を回していることがある。しかし逆を回すことを自分の中で変換し過ぎてしまうのか、一周して「逆を回しちゃう」とか思いながらフタを回していることがある。それが正解なのだ。
 さらにちょっぴり「これはやめられないなあ」と思っていることが、物を一度に運ぼうとすることである。何度かに分けてこまめに行ったり来たりした方が効率が良いとわかっていながら、一度に運ぼうとしてしまう。これはまだ学生の頃からなのだ。例えば親と過ごすコタツの部屋に勉強道具を持って行って勉強したり、雑誌や諸々自分の物をさんざん持ちこんだりした後、自分の部屋に持って戻る時。結構な量の荷物になっているのを一度に運ぼうとしていた。もう両手に一杯で、腕と太ももの間に挟んでいる物まであるくらいだ。半分ずり落ちながら「落ちそう!」とか言いながら必死で運んでいる私を見て「分けて運べばいいのに」とよく父親に呆れられていた。もっともだ。私も自分の子供がそうしていたら、そう言うだろう。絶対言う。でもそうしてしまう。好きでやっていたわけでも面白がっていたわけでもない。モタモタとずり落ちそうになる荷物を両手と足で支えながら運ぶ効率の悪さをわかっていながら、こまめに行ったり来たりするのが面倒なのだと思う。頭ではわかっているのだが、どうしても面倒な気持ちが先行してしまう。
 このことを、月曜の「ペットボトル、缶、燃えないゴミ、プラスチックごみ、段ボール、雑誌」のゴミ出しの日にやってしまうことがあるのだ。我が家は決してゴミステーションから遠くはない。あまりにも多い日は、さすがに何度かに分けたり夫に手伝ってもらうこともある。でも基本的に私の体の三人分くらいの幅をきかせながら、やっぱり手と足ではさんで足を半分引きずりながら、「ああ落ちそう!」とか必死の思いで一度に運んでしまうことがある。運びながら、父とのやり取りを思い出す。そして傍から見て「あの人、一度に運ばなくて良いのに」と笑われているかもしれない。と思いながらやめられないのだ。