先日、なんのきっかけだったかネットを色々見ていると、「HSP」という言葉と出会った。
 これは私の人生を大きく変えることになったぞと驚いている。
 HSPとはhighly sensitive personのことだそうで、何となく日本人として直訳的に捉え、繊細過ぎる人と書きたいが……ああここはしっかり書かねばと思う。「良い意味でも悪い意味でもない」ということである。繊細と言うと、少し良いように捉えられるが、過敏と言うと悪いように捉えられる。こういう特性を持った人たちは、自分たちのそういう部分を決して良いようには思っていないと思う。「繊細」と自分で言ったとしても自虐的に、良い風に言うとね〜とか思っているということ。そして、良いように言われると「いやいやいや!」と本気で否定しているところ。できれば変えたいと思っている。芸術家の中には、繊細と言われることを好む人もいるだろうが、そういった芸術方面での繊細さとはちょっと違うと思う。
 このグチャグチャこねくり回したような文章がもうこの証である。私はどうやら立派なhspらしい。そしてそうだとわかった時に、もう人生でこれほどまでにと大げさに言いたいくらいに、静かなそして強烈な解放感を得られた。その場でオロオロどうしたら良いのかわからないくらいに静かに興奮した。
 こういったものの多くに、簡易なチェック項目というのがある。専門家じゃないから、チェック項目だけでは判断しかねるというやつだ。一般的にどれもそうなので、参考までにってやつだ。ネットや本に載っている。例えばモラハラとか、発達障害とかその細分化したものの特徴まで、うんうんそうだよね、素人だしチェック項目だけでは本当は何とも言えないよねと思う。数が幾つまでとかその境辺りだと微妙だし、その傾向にあるって感じかなあとか。モラハラに至っては20くらいある項目で、時と場合によっては2〜3くらいは当てはまるかも、しかも自分が当てはまるバージョンもあるぞなんて思う。知り合いのダンナさんとか話を聞いているだけだと結構あてはまるのではと思っても、真実はその家庭に入らないとわからないようなことだからうっすら思って聞くと「こんなの7〜8割当てはまる」とか言われて、そんなにピッタリくるものなのかと驚いた。逆に、話を聞いているとどう考えてもモラハラなのに「このチェック項目はどうかな」と否定することから入ってきたりもする。「違う」と必死になって言っている時点で、拒絶反応みたいなものを感じて、図星を認めたくないんじゃないかと思ってしまったり。
 で、今回のhspってやつのチェックをしてみたら、なんだよ、これ私のことじゃないか。というくらいびっくりした。ええっ? 私の人生を見てきたの? 何を言われてきたか知ってたのでは? というくらい自分のことが次々書いてある。そうか。本当に「そうだ」という人は「ウーン、結構当てはまるところもあるよね〜。どうかなあ」なんてものじゃないのだ。「自分のことが書かれてある」のだ。時々そのように書いてある文章は見てきたが、自分にその機会がやってくるとは思わなかった。母に伝えたら、調べてくれたらしく「ホント、○○(私の名前)のことが書いてあるみたい! なんだか物語の主人公になったみたいね!」と返ってきた。その表現がちょっと嬉しい。