健康のカテゴリーに書くことなのかわからないけど、節分の豆に困惑している。胃に負担になってきたからだ。
 何となく、夫との会話や今住んでいる地域の周りの家庭、テレビの中で、関西では節分を重視している印象を受ける。
 節分豆の大豆をこまめに(豆だけに?)まいて、太巻きを丸かぶりするということをやらないと、なんとなく気が済まなくて続けている。札幌ではもしかしたらやっていなかったかもしれない。息子が小さい時は、アパート住まいでも大きな声でまいてくれて、それはそれは可愛かった。が、大きくなってくるとやりたがらなくなった。私だって子供の頃、恥ずかしくて小さな声でまいていた。今も私はほぼつぶやいている。とにかく「豆をまく」という行為が大事なのだ。でもこれ、どうにも面倒くさい。いつまで続けなくちゃいけないのだろう。周りの家庭でも豆をまいている声も音も聞こえてきたことがないし、宝塚に住んでいた時は節分の翌日、道端で大豆が落ちていたのを目にしていたのに、こちらでは見ない。関西でも今どき見ないのだろうか。
 太巻きの丸かじりも、そちらの方を向いて食べたものだった。でもそんなに厳格なルールではなくて、一口目を吉方向いて食べたらあとは普通にテレビを観て談笑しながら食べていた。最近では「吉方を向いたまま黙ってすべてを食べきる」ことが正式なルールとか言われている。でもこんなに浸透したのも近年のことで、私が札幌に住み始めた17〜18年くらい前の頃は「関西では、太巻きを丸かじりするそうです」と夕方のニュースで話していた。「まさか全部食べるわけじゃないでしょう」「まさかあ!」なんて会話していたので「いやいや、食べるんだってば」とテレビに向かってツッコミを入れていた。
 今年は、コンビニの太巻きを売るノルマがアルバイターにも課せられていると知り、気の毒になる。あんな関西でのお遊びのような地域性の強い行事を全国がマネする必要はないだろうに。加熱する業界の様子を見て、何だか心配になる。とりあえず私は関西育ちだし、その行事をしたい、しないと何となく気持ちが悪いと思うので、続けている。
 やっぱり健康のカテゴリーじゃない内容となっていますね。でも胃に負担なこの日の行事のことなのです。だいたい皆が感じていることだと思うのだけど、年齢の数だけ豆を食べるということが、だんだん大変になってくる。胃に負担なこともあるし、数えるのもすごく面倒である。結構豆の数も消費する。子供の頃は「もっといっぱい食べたい!!」と自分の年齢をその時ばかりは恨んでいたものだったのに、30半ば超えた辺りから、もそもそと口の中の水分が奪い取られるようで、しかもお腹の中で膨れる気がしてお腹いっぱいになってしまう。まだ太巻きイワシも食べなければいけないのに。しかも、夫は札幌の習慣から「落花生が食べたいなあ」「赤いのも(赤くて丸くて中にナッツが入ったおかきのこと)食べたい」とか言う。北海道は、寒いからか室内で落花生をまき、床に落ちた物でも食べれるように落花生を拾って集めて食べるらしい。こんなにたくさん食べなければいけない豆だが、「無病息災を祈る」とか言う。胃は大丈夫なのか。もっと年を取ったら、朝昼晩と何回かに分けて食べようか。数えるの、面倒くさいなあ。いつまで数えようかなあ。