過去の友達や先生との付き合いは、当時、面白いかどうかだけで考えていたところがある。いや当時の私なりには考えていたのだが、やはりもう少し考えが及ばなかったのかと今の私は色々と振り返らざるを得ない気持ちに行き当たる。
 最近の映画でも、「思い出をすり合わせたりしながら、いかに過去の自分を受け入れるか決別するか、という作業が大事」なんてことを思わせられる。
 ただ、「嫌いだ。だからもう思い出したくない」という風にいかないのが現実なのだ。
 私が時々書いている、すごく仲の良い友人二人は、ベッタリいれば良かったのかもしれないが、私もそういう性分ではなかったのと、ベッタリしようとすれば、その取り合いに巻き込まれることになるのもいやだった。取り合う周りの子たちと特に仲良くもなかった。だから放っていた。私がベッタリしていたのは、何度も書くが別のグループの子たちだった。私を気に入ってくれていたため、これが行き場をなくしていた時期に、運良くそのおさまることができたのだ。すごく楽しかったけど、私には物足りなかった。だけど、面白いかどうかだけで言えば、もうそれで私は良かった。私は小学生の頃の帰国子女で馴染めなかった同学年の子たちのことを思い、いじめてきた子を思い、こんなに楽しい学校生活を送れるなら、これで良いと思っていた。学校行事、先生になんでも言える雰囲気、フザけて笑っていられるけど良識のある友達たち。充分だと思っていた。その時は。
 だけど、心の中には壁を作っていて、私は決して彼女たちと対等にはなれなかった。そしてそういう自分を認めるのがいやで、慕ってくれる彼女たちを大事にした。受け入れてもらえている、楽しい、ということは当時の私にとってはものすごく大事であった。失敗が多くても、少し浮いてしまっても、アハハと笑ってなれ合う環境が、私には必要だったのだ。そして物足りなさは、今親しい友人のような関係性の友達で補っていた。
 卒業して、お互いの環境が変わってくると、同じグループで惰性のように会っていても、気が合わないから楽しいわけがなく、同じ教室で同じことを共有しているわけでもないから共通の話題があるわけでもなく、それぞれの意見を聞いても「私は違う」ことばかりで、本当にいやけがさした。二人で会う時とあまりに意見が違う人もいて、もう心底いやになっていった。なのに、私は「そんなことで今までの関係を壊したくない。男女の恋愛じゃあるまいし」と思って我慢してしまった。
 それは子供ができてから、ますますハッキリしてきた。子供に対する考えが全然違った。そもそも私が一緒にいたグループでは、私が帰国子女であることをナシとして付き合っていた。私自身そういうことを横に置いといて付き合ってきていたし、そうじゃないと浮くことも知っていたから。だけど、子育てにおいて、帰国子女であることは私の考えを大きく左右していた。それをわかってもらえていなかった。わかってと訴えた覚えもないけれど、ちょっとそういうことを言うと「なんで今さら?」という感じになってしまう。私はこの人たちに、私自身の何を見せて友達付き合いをしてきたのか。彼女たちは私の何を見て付き合ってくれていたのか。