そこから気持ちが進まなくて、どうしたら良いのか立ち止まった感じになっていた。
 当時のことをどうしても色々な場面で思い起こされる度にいやな気持ちになる。この気持ちをどう処理したら良いのか、まだそこらが未熟でわからなかった。まずここでやっとスタートラインに立った程度。早く進んで成熟したい。書きながら少しでも進めることができれば、と思いながら書いた。
 いくつかわかったことは、私が、女子同士のキャッキャとフザけている感じが好きだということと、女の人の可愛らしさが好きなこと。そして、女子同士の噂話があまり好きではないこと。両立というか、すべてが満たされるということが不可能なこと。
 そして、ここまで考えが及んでから、また少し自分を理解することによって前に進めた感じはある。
 最近、女性芸人が、バラエティー番組で辛口に女性の悪口を言うことが多くなった。きっと、番組を作る側から「今日も期待してますよ」なんて言われるのだろう。「女性の嫌な部分を斬って下さいね」とか。そして期待に応えられないと、競争の激しい芸能界ではすぐに呼ばれなくなるだろう。だから芸人やタレントたちは、期待に応えるべく、一生懸命悪口を言う。私はそういう番組がとても苦手だ。非常に不快な気持ちになる。彼女たちは極端なことを言わなくてはいけないから、偏見の塊のように思えてしまうのだ。誇張して言ったりしているのはわかる。だけど、漫才などのネタでもないのにフリーに悪口を言うという状況は、ちょっと待ってと言いたい。
 そういった番組を観ていて、つくづく私は女性同士の悪口大会が好きではないのだと知った。上品ぶっているわけではなくて、私自身、悪口は言いたい。特に自分が嫌いな人に関しての嫌な話は「それ見たことか!」と鬼の首を取ったかのように、声高に言ってしまいたい方である。だけど、それは家族など身内か、本当に自分が親しいと思っていて心から信頼し合えると相当確信を持たないと言わない。何故か。考えてみたけど、それほど親しい人って、私にとって随分考え方が似ていると思っているからである。立場や環境の違い、お互いの状況が違うことに関して私はお互いに認め合える関係でいたい。が、物事や人に対する考え方は結構似ている人がラクだ。
 多分、悪口を誰彼となく言える人は、逆なのかもしれない。状況や環境が似ている人を友達とし、奥深くの考え方や感じ方は違っても良いのかもしれない。だから「そこまでは同じだけど、だからってそうは思っていない」という細かいところはどうでも良いのかもしれないです。
 これは私にとってすごく大きな発見だった。
 キャッキャとハシャイだり笑ったり、楽しく可愛い女性たちとフザけている時間が好きということと、女性が多くなってくると出てくる対抗意識が嫌いということが、自分の中でうまく処理できていないということ。両立できないのはわかったから、どちらかを取るしかない。好きだけど、その中には入らない。その気持ちを意識的に持っていないと、私はまた巻き込まれてしまうだろう。