書く時の心境や状況などによって違うので、なかなか書けない、書いても載せる頃には気持ちが変わっていて結局載せないという文章の多くが「友達」のこと。
 過去の仲良かった友達について書いてきたし、その関係が今はどうあれ、当時のこと、気持ち、うまくいかなくなったことも含めて書いてきたと思う。だけど、現在の友達や心境に書いて書くのはとても難しい。この文章も載せることになるのだろうか。
 女同士というのは、当然珍しくもない友達関係として言えることだけど、男同士ってもう少し単純にできているものではないかなと思うことがある。男同士の嫉妬なんかは女同士のそれよりもっと激しくて大変だというのもどこかで見聞きしたことがあるけど、そこら辺もわからない。私は女なので、女の嫉妬というのを常に目にしてきたし、自分にも多少はあるのかもしれない。あまりない方だと思っていて気が付かないが、嫌いな人の活躍は、心の中で難癖つけてしまうところはある。それが嫉妬だとは思っていないけれど。そして友人たちを選ぶときに、そこはすごく自分にとって重要な条件で、「この条件に当てはまる人が友達!」と思って選んでいるわけじゃないが、そういう対抗意識や競争意識を感じると、途端に友達関係でいることが面倒くさくなる。この人はそうやって人と喋るのかと思うと、私はそういう目でアナタを見たくないと、遠ざける。そうすると、私の周りにいる人たちは、私が物足りないくらいに人の悪口を言わない人たちが多くなる。まったく噂話をしないわけではないし、悪口とも取れる愚痴は話す。でも私はそこからもう一歩、口汚く罵ってしまいたいところを、友人たちは、そこでちょっと感想を言ったらおしまいだ。そこが私にとっては言い足りなくて、自分だけの文章として書いたり、言えることなら母や夫に聞いてもらったりする。そして矛盾しているようだけど、私はそういった友人たちの、そういうところが大好きなのである。
 私の中で、「友達」ってどんなに気を許して、私がだらしなく振舞ったとしても、話す内容や話し方に節度がある人が良いのだ。「そういうことは身内にしか話すものではない」という制約が自分の中でできている。だからもし話すとしたら、結局自分も小声で控えめに話す。どんなに親しくなっても。ズケズケ100%の気持ちを大きな声で話すのはどうやら性に合わないようだ。そのことに最近気づいた。気づいてから周りを見渡すと、私は何と良い友人たちを持っているのだろうと自分で嬉しくなる。
 それでいて、自分の考えや意見は、思慮深くながらも割とはっきり言う人たちばかりである。だから本心がわかりやすくて、素直なのだ。皆表情も素直に出るから素敵。それが信頼し合っている関係だからかもしれなくても、やっぱり自分と話す時の表情ってすごく気になる。私相手だから気を許しているにしても、あまり他の人に対してとギャップがあるのも好きではない。特に意見に関しては。私の前ではああ言っていたのに、人が大勢になるとそんな風に言うんだ、というタイプの裏表はどうも苦手。そこが嘘つけない人の方が単純に「好き」なのだ。別に悪口言っていた人の前で無愛想でいてとか、嫌いとアピールしろと言うのではありません。そりゃ表面的に付き合わないとギクシャクしてやってられないこともあるだろう。だけど、全然違う意見を言う必要はないでしょと思うのだ。