コーチとなった外国人は、「こういう雰囲気は初めて」と驚いていたが、さすが一流の人だけあって、その状況をとりあえず受け入れた。外国人がこういう日本人を見ると、ものすごく軽蔑するのを私は何度も自身で体験してきたので、このコーチの、文化に対する寛容さや子供たちを見る目に感心させられた。さすがだなと思った。
 改めて自分が、帰国子女であることも感じた。こういう女子中学生のような反応が、とても軽蔑されるべきことであるのをもう身をもって知っていること。だから皆のその反応を、気が遠くなるような気持ちで観ていた。仲間たちからどう見られるかという狭い世界のことで必死なのに、外国人たちからどのように見られているかは感じないのだろう。恥ずかしいことだと思われているなんて、思いもよらないのだろう。仲間外れの方がもっと怖いものね。これからもしばらくは、その世界で生きていかなければならないものね。
 そして、また中学高校の話になるが、私がいかにその頃恵まれていたかを感じた。
 ここでも何度も書いてきたが、ずっとマイノリティーだった自分が、初めてぬるま湯につかれたところが、私の通う中高だった。帰国子女はそれほど多いわけではなかったが、そこまで珍しい存在でもなかった。だから自分が帰国子女であることを隠す必要はなかったし、文化的に理解し合える子もちょこちょこいた。又、精神的にお嬢様が多かったことと、精神の自由を愛する校風のため、人と違うことを言うことに関して、それほどダメなこととされていなかった。女性同士であることと、やはり日本社会であることとで、とがった自己主張は許されていなかったと思うが、かなり皆、好きに発言していたと思う。キツイ物言いはさすがに敬遠されていたけど、物腰柔らかい人が好かれるのはどこの世界でもそうではないだろうか。
 例えば、外国に住んだ経験者に対して、そこの言語を話せることを「いいね!」と言える雰囲気だったし、なんならその中の一人は体育大会の応援団長のセリフとして、その言語を大声で発表させることがあった。又、得意な楽器を披露するという発表会で自分たちの得意な楽器をものすごく上手だろうとそこそこだろうと、壇上に上がって披露しあった。クラス替えが毎年行われ自己紹介をする時、面白いことを言う人に注目が集まった。得意なことや好きなことを言う人が多かったし、中でもよく覚えているのが「私は今日は風邪をひいていてこんな声だけど、いつもはもっと可愛い声です」と笑った子がいたこと。そんなに中心人物的な子ではなかったけど、クラスの子全員で笑った。一人ひとり、遠慮深くたって、自分の長所を言うことに対して抵抗はなかった。
 私は当時、だいぶ自分を取り戻すようになっていったので、遠慮や良い塩梅は難しくても、人と違うことを言おうという意識はすっかり戻っていたと思う。それで受け入れてもらえる環境だったので。今はそれで受け入れられなくても、つい「違うことを言おう」「違う選択をしよう」と心掛けてしまう。
 だから、テレビ番組のその中の女子たちの髪型がほとんど同じで、下向き加減だけど目線は周りを気にしながら「nothing」と次々言う子たちを呆気に取られて見ていた。なんて窮屈でかわいそうなんだろうと思った。