時々『奇跡のレッスン』という番組を観る。大抵、土日の昼間である。どこかへ出かける予定もない日は、家族がそれぞれに思い思いの時間を過ごしている。私も何かやりたいことがあればしているが、何もないと何となくテレビをつける。すると『奇跡のレッスン』をやっていることがある。
 この番組の好きなところは、コーチをする一流の人たちの、子供たちに対する扱いである。とても気持ちが良い。
 子供を人間として尊重し、どのように導くかを常に考え接している。決して下に見ていないし、子供たちの良い所を引き出して伸ばそうとする。それによって子供たちが生き生きと考えて動き、自分たちの活動を「楽しい」と思えるようになる。「楽しい」は、「一生懸命」につながる。その指導の仕方を見ていて、そういうやり方を‘理想だよ’と片づける人たちに対し、あえて努力不足だと厳しく言いたい。私の場合、結果はどうあれ、子供に対しては、自分の思い描いた接し方をしたいと努力だけはしてきた。うまくいかないこと、思い描いた接し方でないことなんか多々あったけど、それでも常に理想は頭の中にあり、自分を省みては、時にはうまく振舞えるようになろうと頑張った。それをすべての人がするべきとは思わないけれど、そうすることで子供たちの心に残ってほしい、自分の子供が温かい家庭を築いてほしいと思うことは無駄ではないと思う。
 そして、そういったコーチたちは、その理想をしっかりとやってのける。すごいと素直に思う。私もまだまだだとか、もっと努力をしようとか、参考になることもたくさんある。
 そんな中で、ものすごく気になるのが、子供たちの表情や態度。
 厳しいクラブ活動や部活動をしている子供たちは、上下関係や周りの人間関係に委縮している様子が多々見られる。「そういうもの」としてやってきたからだろう。日本て空気を重んじるそういう社会だし。親もそうやって接してきたのだろうし、先生や普段のコーチもまた然り。私は個人的に協調性などを育む良い面もあると思っている。遠慮深いところや思慮深いところも感心することがよくあるし、日本人のとても好きな部分でもある。
 だけど、この前観た時は「これは次元が違う」と唖然とした。
 女子のチアダンスの部活動だったと思うのだが、外国から来たコーチが自己紹介をしてくださいと言い、「人と違うところを一つ付けくわえて教えてね」と言った時。中学生女子たちは周りの雰囲気を伺いながら「nothing」と言ったのだ。他の子たちも同じことを言った。最初の人が言ったのと同じことを言いがちなのは、とてもよくわかる。特に私が小学生の頃にいじめられて、できるだけ目立たないよう頑張ったので、そういった目立たないように頑張るには、前に発言した子と同じようなことを言うしかない。しかし中学生である。もう少し精神的に成長していても良いではないか。
 と、思ったのだが、思春期ならもっと同調性が強くなるのかもと思い直した。今はSNSも発達しているし、グループでどのように言われるか、自分だけが除け者にされないように心配しているのかもしれない。とにかく彼女たちは恐ろしく委縮し、遠慮し、何も主張せず、「no」だとか「nothing」だとか言って自己紹介を終わった。