前回このカテゴリーに老眼のことを書いてから、割とすぐに眼鏡屋さんに行ってきた。
 正直、ワクワクを抑えられなかった。高くないものにしても、可愛いフレームにしよう。どんなのが似合うかな。顔の長い私に似合っている眼鏡は少々限られている。好みのが似合うと良いな。いやあしかし眼鏡か。参ったなあ!ワハハ!
 ……といった具合。つい楽しみでまったく悲壮感はない。ガッカリ感も当然ない。
 限られた値段の中なので、好みの物、かけても変ではない物を見つけ出すのは簡単だった。私はあっという間に、眼の検査に向かった。次々と検査をし、「どんな時に困るか」と聞かれたので「台所仕事をしていると、成分表とかレシピの数字がよく見えない」「薬が一日2回か3回かよく見えない」と説明した。説明しながらハシャぎたい気持ちを抑えるのに一生懸命になった。でもニヤニヤが止まらない。何故こんなに眼鏡が楽しみなのか。自分でもよくわからないのだけど、やっぱりちょっとした変装みたいで、それも公然とできるので嬉しいのか。眼鏡をかけることに悪いイメージはまったくない。ただ目が今まで良かったことにはすごく感謝している。それもまた私の体の中の唯一と言っていいくらいの自慢であった。目が見えることは嬉しい。だけど、眼鏡をかけることはそれなりに楽しみ。
 目の検査をしてみると、意外とよく見えた。そして「あれは見えないけどこれは見える!」とやっぱり「見える自分」を主張したくて頑張ってしまった。それでも軽いものの私の眼はしっかりと「老眼」と認定されたようだった。そしてそれ以上に乱視だと言われた。
 えっそうなの?
 念のためと、乱視用のレンズを付けて「あれを見てみてください」と少し遠くの文字を指さされるとクッキリ見える。ふむふむ。クッキリ見えるけど、それがどうなのだろうと今度はレンズを外してみると、ものすごくぼやけている。何重にも見えるので「わっ!」と驚き、またレンズを付けてみた。クッキリだ!……を、漫画みたいに二回も繰り返してしまった。えっいつの間に私の世界はこんなにぼやけていたのだ。……いや、知っていたではないか。ちょっと離れているだけで人の顔がよく見えないから、なんか知っている顔かもと思いつつ凝視は失礼だしとあきらめて無視しちゃっていることを。そうか。これって老眼のせいだと思っていたら違ったのだ。私は乱視だったのだ。
 愕然としつつ、とりあえず老眼鏡を買いにきたので、それだけを作ってもらうことにした。そして、レンズを入れていたケースに書かれてある数字を見て、夫が「僕より乱視だ」と笑っていた。ええっそうなのかあ。夫より目は良いと思っていたけど、乱視に関しては私の方が進んでいるらしい。これはショックである。ショックではあるけど、「じゃあ乱視用の眼鏡をやっぱり作るかあ」と、これもまた何でか「参ったなあ!ワハハ!」なのである。
 ちなみに乱視だから困っているのかな、と感じるのは、夜の車の運転です。信号の輪郭がハッキリしなくても困ることはないけど、夫や息子を迎えに行く時に、以前より対向車のライトがまぶしく感じたり、距離感がわかりにくかったり、は、ちょっと危なく感じているので、これは笑いごとじゃないですね。