自分の太ももを殴りつける行為は、明らかに減っていき、そのうちなくなっていった。
 その代わり、時々子供に意地悪な言い方で傷つけることが出てきて、それも辛かった。それもまた「お前のせいだろ」と言ってきた相手と、同じ方法だったのだ。そっくり過ぎて自分がいやになった。そういうことを言いそうになったら、できるだけやめるように心掛けたし、それまでもそんなに度々ではなかったけど、そういう言葉をかけた時には、必ず後で心から謝った。
 子供と接するうちに段々私は素直にまっすぐ気持ちをぶつけられるようになっていった。その分、ただのうるさい母親が出来上がったと思う。うるさくなり過ぎないよう気を付けているが、時にはイライラもするし機嫌も悪くもなる。ただやはり意地悪な言い方はすっかりなくなっていった。
 ところが、夫と喧嘩して、またその行為が顔をのぞかせたことがあった。
 「私が腹を立てるのは、私が悪いのだ」「相手にムカつくのも自分に悪いところがあるからだ」というこの思考回路、どうにかならないものかと思った。
 さすがに意地悪な言い方はないものの、腹が立って涙が出た時に、自分を傷めつけてしまう。そのうち年老いてきたら判断力が鈍ってやり過ぎて、自分で自分を骨折とかさせないだろうか。アホみたいなことだが、でも真剣に心配である。
 家族によるDVではなく、自分によるDVってホント、意味わからん。
 しかもちゃんと自分は腹を立てているわけだし、相手を言葉で傷つけてもいる。なのに自分の体を傷つけることも並行して行われる。
 やめたいけど、感情のやり場がなくなってついやってしまう。
 やはり最初に書いたように、代替品が必要だと思う。その場で何とかできる物。そして多分、専門家に聞いてもらうべきなのかもしれないと本気で思った。私は更年期が早く過ぎてほしいが、その最中の辛さも心配だし、老後の判断力鈍くなった時も心配だ。
 自分が自分を大事にしなくてどうする。冷静な時はよくわかっている。体も丈夫じゃないからよくいたわっているし、元気で家事をするためによく休むようにしている。だけど、感情的になって怒りが強くなるにつれ、自分を責める気持ちも一緒に強くなる。私は自分を好きでいたい。ダメなところと良いところは表裏一体。ある面で頑固なところも、ある面でいい加減なところも、私は自分が愛おしい。少なくとも母親はそういう私の部分については宝だよというメッセージを送り続けてくれた。それに比べて私は息子のいい加減なところを時々責めてしまう。確かに社会で困ることはあるだろうが、例えば母は、私のそういった部分は、柔軟さや臨機応変な対応につながり、逆境にも強かったり、芯の強さにつながっている。母はそれを見越して見守ってくれたのだろうと思う。そして何よりも人を見る時の寛容さにつながっている。だからそんな時、ダメだなあと自分のことを思う反面、決して嫌いにはならない。嫌いになる時は、自分が腹を立てている時なのだ。これが歪んでいると思う。どうにか自分を傷めつけないで済むようになりたい。