自分の中で、どうにもつきまとう問題があった。完全に「問題」な部分だ。もちろん悪い意味での「問題」。
 自分の子供が幼い頃は、そういう自分の部分を直したいと思いつつ、カウンセラーと話したこともあり減っていった。しかし、完全に直ったわけでなく、ふとした拍子に出たり、これから年を取って自分をコントロールできないことがあったりした時に、また出ないか心配だったりすることがある。多分一度で済むだろうから、カウンセラーに「このこと」を中心に聞いてもらった方が良いのではないかと思っていた。
 実は私、少―し「自傷傾向」があったのだ。ここのエッセイで過去に書いたことがあるかもしれない。これがなかなか完全に治らなかった。いわゆる自傷行為は、自分が生きている実感を持つために行われることが多いらしい。又、生死に関わるような危険なこともある。でも私は、生きている実感を持つためのものではなく、生死に関わるような強いものはない。ただ自分を責めてその時に傷めつけてしまうことがあるのだ。どういう時かも分析できているし、もし自分がカウンセラーの立場なら、この程度なら「代替品」を持てば直るのではと思うので、何かそういった物を身近に買った方が良いのではなと思ったりもする。ただそれを見つける、買う、それで済む、ということではないのだ。気持ちが。だからきっと一度気持ちを専門カウンセラーに聞いてもらうのが良いのではと思っていた。
 きっかけは、やはりよくあることなのだが、幼少期にある。これはトラウマとして何度もフラッシュバックが来て、少しずつ克服していった場面なのだが、「私が何か傷つけられるようなことを言われる」「ショックだし、腹も立つし、でもうまく言い返せないし、悲しくなって泣き出す」「泣いた私をとがめられる」「何故か私が泣いていることが、‘オマエが悪いんだろ’と言われる」「泣けば良いと思ってと言われる」「傷つけられたはずなのに、傷つけられた私が悪いことになる」「泣いた自分が惨めだし、泣くことがアピールになってダメだとわかり、ますます自分を責めて閉じこもる」「自分が悪いと、頑なに周りに訴えることになり、誰もフォローはしない」この流れなのである。
 これを何度もされて、私は自分が傷つけられた時に=それは自分のせいだ、ということが刷り込まれてしまった。傷つけられる→自分のせい。って意味わからんが。
 自分の子供が泣いた時に、腹が立ち、いらだちを言葉でぶつけたり、子供が喋れるようになって反抗してきて言い合いになり大喧嘩になったりした後、決まって私はトイレに閉じこもって自分の太ももを殴り続けたことがあった。自分が腹を立てるのは自分が悪いのだ。自分が怒って悲しいのも自分が悪いのだと思ってしまう。ならば自分を責めるしかない。その度に太ももにはバレーボール選手がバレーボールを始めたての頃の手首みたいに、点々と小さな打ち身みたいなアザがたくさんできた。カウンセラーの一人は、良いんだよ誰にもぶつけていないでしょ、致命的なことじゃないし、それくらいやったって良いよと言ったが、私の悲しみは癒されなかった。別のカウンセラーは一通り聞いたら「あらまあ……痛いでしょう?」と言った。私は彼女のその心からの言葉に何故かもうしないで良いと思って、徐々にその行為をやめていった。