いよいよ、老眼が本格的になってきた。
 特に、台所仕事が困る。ということを母に聞いたことがあった気がする。その通りである。ちょっとした調味料の成分だとか、冷凍食品の加熱時間やワット数などがボヤけちゃってハッキリと見えるのに時間がかかる。持っている袋だとかを少し遠ざけてみたり、近づけてみたり、焦点を合わしている自分が、もうすっかり年取ったような気がしちゃう。どうして近づけたり遠ざけたりしているのかと子供の頃は思っていたが、いやついこの前までその動作の意味はわかっていなかったと思うのだが、いざ老眼になってみると、遠くじゃないと焦点が合わないことを知る。遠ざけて焦点が合った!と思った辺りでは、遠すぎて字が小さくて読めない。遠過ぎると思って近づけるとまた焦点がボケてくる。それで遠ざけたり近づけたりを繰り返しながら、読める位置を探る。不自由だ。
 あと、何かと物がボヤけて見えるようになってきた。物がくっきり見えないのだ。
 子供の頃からずっと両目1.2以上〜2.0くらいの間をさまよっていた私は、目の悪い人の感覚がまったく理解できなかった。ただあまりにも遠くの物を見た時に、ぼんやりする感じがあるのから、目の悪い人は全部そうやって見えるのかなあと想像してみたりするだけだった。
 しかし今となってはよくわかる。人の顔もそうだ。離れていると、なんとなく「あの人に似ているなあ。そうかもしれないなあ」というくらいの認識しかないので、じっと見ることが面倒くさいやら失礼になるかもと思うやらで、知り合いでも無視しちゃってるかもなあと思うことがある。似ているなあくらいで、そこからを追及しなくなってしまったのだ。とにかく何もかもの輪郭がボヤけている。
 40歳の時、目のけいれんがおさまらなくて眼科に行ったら「ああ、もう2年くらいで老眼ですねえ」なんて言われてしまい、ネットで眼科勤めをしている人が「老眼の境目は42!」と書いていたので、45歳の今まで粘ったと思う。決して粘るのが良いわけではないことも知っているのだけど。
 あと一つ、旦那がちょっとでも暗いとすぐ電気を点けるので、ちょっといやだなあと思っていたのだが、その気持ちを理解できるようになった。前はちょっとした暗がりでもゴソゴソと物を探すことができたのに、家の中の食品庫のような場所で、電気を点けるようになった。暗く感じることに敏感なのだ。それは、糸井重里も書いていた。老眼になったら、暗さを感じるようになるということを教わっていなかったと。そうですね、みんなそんなもんなんですね。
 しみじみと自分の老眼を感じつつ、いよいよ眼鏡店に足を運ぶつもりである。
 でもね、眼鏡かけている人に「かけるのは遅い方が良い」だの「結構煩わしいものだ」だの言われても、やっぱりちょっとだけ憧れちゃうのだ。眼鏡。かけるとちょっとした変装みたいで。だからまんざらでもないんです。どんな眼鏡にしようかと、ほんのちょっとウキウキした気分がどうしても拭えない。