少し話がそれるが、ラジオで、赤江珠緒がパーソナリティーで曜日代わりにパートナーが変わる「たまむすび」という番組がある。今は、たまちゃんが産休で一時お休みだけど、博多大吉の曜日があり、そこで「2:8」のコーナーがあった。何かテーマを決めて、だいたい2:8に分けられるのではないかとアンケートを取り、その結果を話すというコーナー。結構好きだった。自分がどちら派かを話し、そこに何故なのかという理由や主張がそれぞれ乗っかってくる。その内容を夫と楽しんだものだった。そしてある時は、「夫、或いは妻に秘密がある」という調査。
 それを聞きながら「秘密秘密と取り立てて言わなくても、言わないで良いことをあえて言わないよね。」と夫と話した。それを秘密と言うのか知らない。秘密があるのが夫婦仲が良い秘訣とか、夫婦仲が悪い証拠とかじゃなく、単に「実はさあ」と言わなくたって良いことなんて山のようにあるではないか。そんなの過去のことから、日常生活まであるだろう。秘密がないよう、もしそんなことに心を砕くなら、過去のことすべてと一日のすべてを相手に話さなくてはいけなくなる。それでも夫もおそらくそうだと思うが、私も夫にスマートフォンを見られたって平気である。なんら後ろめたいこともなければ、コソコソするようなこともない。
 話がそれているようだけど、そういうのを踏まえてです。
 「ララランド」を観て、自分の夫或いは妻に、過去の相手がいたとかいなかったとか、そんなに気にしません。若い頃なら気にしたのかな。……いやあ、映画ってそうやって観るものじゃないからなあ、というのが私の考え方だ。夫にも私にもいたかもしれない。いなかったかもしれない。でもそういう思いをしたことは確実にあるだろう。それが男女のことだけでもないのでは、と私は思う。友達のことでも良い。あらゆる人間関係に通じるものがあるだろうし、仕事のことでもそうだろう。
 ちょっと前に、糸井重里がほぼ日刊糸井新聞で書いていたことで、とても好きだった文章がある。「どっちも正解」ってやつだ。これは東日本大震災の時の、避難する人しない人にも通じる文章だとも思った。人生にはいくつも選択しなければいけない場面があって、今はこっちを選んでこの状態を生きているわけだけど、あっちを選んでいたら違う人生だったんじゃないかっていうことを考える。そんな時、それも正解だったかもしれないし、今の選択もきっと正解だっただろうということ。考えても仕方ないなんて、私も含めそういう思考に至る冷めた思いを実に温かく力強い言葉で説得されたように感じた。そう、どちらも間違ってはいないんだ。
 今の夫婦の間柄をこれでよしと思っていれば、その人の過去がどうであろうと、「相手がそういう思いを知っている」「情緒の経験値がある」ってことが私にとっては宝物である。それが異性であろうと同性の友達だろうと家族だろうと仕事だろうと、「こうであったら」という思いがあったこと。そしてそういうのを噛みしめて今の夫と私がいるということ。
 「わかるよねえ〜!」お互い似た温度でその言葉を発していたら、それは幸せなことなんじゃないだろうか。