ここでのミアは、彼の本当にしたいことをきちんと追求してほしいと思っているが、彼女のために右往左往我慢しながらやっていることに対しては良く思っていない。そこは同じ夢を思う者同士の応援する気持ちが伝わるけど、でもそういう点で彼の彼女に対する思いの大きさを感じていないようだというか、そこは大事ではないというのが、女性らしいところである。すごくわかる。「私の本心が伝わっていないのね」っていう。
 最後の場面で、彼女が結婚しているのが救いだ、彼女が幸せで何よりではないかという圧倒的に男性側に多い感想を読んで、男の人ってどこまでもロマンチストだと思った。彼は、ミアに対して黙ってうなずくが、それを私は、包容力とか彼女を心から愛しているとかいう風には思わず、その自己満足、自己陶酔な感じが男の人らしいなあと「うわあ〜」と思い、その後「うわあ〜」と思ったままエンドロールが流れたので、初めて観た時に呆気に取られたということもある。あれ? 終わり? っていう。
 男の人はそれで良いのねっていう。
 女性からしたら、多分なるべく一緒にいてほしいのが願いだろう。なんならそこから奪い取ってほしいくらいの。いやもちろんそれが現実的ではないのもわかっているけど。
 その場しのぎと言うとここは聞こえが悪いが、できるだけ夢のそばに彼がいてほしいのだ。それがエゴだとしても。自分がこうしたいと思っているそばにいてほしいから、それが過去に愛した彼ではなくても、そばにいる彼が良いということになってしまうのだろう。
 私にはこういう恋にそれほど身に覚えはないけれど、エゴが出るのは非常にうなずける。そこは自分で認める。だからこそ私はアメリカに行き、アメリカで夫となる彼を見つけたのだ。もちろんほぼ無意識ではあったけど、このように分析しようとするとそうなる。そして否定はできないのだ。遠距離恋愛もできないタイプ。もちろんそういう女性ばかりではないこともよくわかっているし、男性側も然り。
 映画的には、「あんなに愛し合った彼じゃなくてえ〜??」と思うのだが、きっと夢が叶い始めた彼女は、いつもそばに寄り添っていてほしかったのだろう。最後のオーディションのシーンでは、もう戦友と思えるくらいになっていて、恋愛感情は薄れてきていたようだ。女性が「もう良い」と思うとそんなものである。だけどまだ引き留めてほしかったり、追いかけてほしかったり、奪い取ってほしかったりするのが女性だ。そして好きでもない人にそういうことをされると、うんと嫌いになるのも女性だ。お互いの「ずっと愛している」という同じ言葉の、真の意味の違いに、ほんの少し圧倒されてしまう。
 ちなみにクライマックスシーン。夫は「男性側の‘こうあったらいいのに’っていう男の人の情けないところというか、ロマンチストな部分が、願望として出ているんだよね」っていうのを聞いて「うむうむ」と思っていたが、何度か観て感じたのは、あれはミアの思いでもあるということだ。彼の思いとミアの思いとが重なったシーンだと思う。お互いに「こうであればいいのに」という思いが妄想、映像となり、現実に戻っていく。
 息子はまだ観ていないのだが、大人になったら是非観てほしいと思う映画だ。恋愛は映画から学んでほしいものだ。いや別にこの映画のように、という意味ではなく。映画全体。