『ララランド』を、二回目観ることになった。
 二回目観終わった感想は、「やっぱり細切れに映画を観るのは良くない」ということである。そう、一回目より断然良かった。ただし!!
 これもやっぱりなのだが、号泣するような場面はなかった。グッとくることもあまりなかった。ただ心は動かされた。「うわあ〜なるほどねえ」って、心の中の何か小さなものがじわ〜っと広がった感じである。
 夫は観終わってから「良かった」と盛んに言っている。
 そこで、やはり男性と女性の恋愛観の違いについて考えることとなった。そういう映画なのだと思う。
 女性ってどこかその場しのぎなところがあるのだろう。私だけだと思っていたが、映画を観ているとどうやらそういうものらしい。もちろん個人差はあるけれど、例えばミアが親と電話している時に、彼であるセブの話をする。「バーを開くそうなの」とか「大丈夫。ちゃんと稼ぐから」てなことを言う。親と話しているその場を何とかしのげば良いとか思っているのだ。それを男性は気にしてしまう。女性が親と話したことを、そうか、そう思っているのかとか真に受けちゃう。そりゃまったく思っていないわけではないけれど、多分女性は、それ以上に目の前にいる彼が頑張っている姿が良いのだろうと思う。そして自分が目指しているような女優になったらこの人との関係はとかもあまりちゃんと考えていない。何とかなるだろう。と思っているのだ。
 男性も女性も一緒なのは、自分の夢が強い時に、相手にその夢についてきてほしいと思うことである。その先で自分の夢をかなえてもらえたら良いじゃない?というエゴが出てきちゃうのだ。でも夢ってそういうことですよね。
 だから二人はどうしても衝突する。
 夢は強い者の方がその情熱についてきてほしいと思うけれど、女性は夢と恋愛が一色汰なところがある。例えばオーディションですごく悔しい思いをした時に、セブと待ち合わせた映画館が目に入ると、まいっかと機嫌が簡単に良くなる。でも男性はその辺りを切り離せるところがある。ただし切り離しておくからなのか感傷的、ロマンチックなのは男性の方。同じ車じゃなくても、いつまでもこだわりの古いオープンカーに乗っているのがその象徴と思える。だから双方に強い夢が同時にある場合、うまくいかなくなるのは当たり前と言えば当たり前。
 そしてどうやら、男性は女性の夢をかなえてあげようと頑張るようだ。自分の夢が壊れそうになっても、うまくいきそうになっても。或いは女性との関係がうまくいっていようといかなかろうと。だけど、女性が男性の夢をかなえてあげようと思う時は、自分に夢がない時や、夢があるならその男性との恋愛がすごくうまくいっている時で、少々事情が違う。女性って、誰かにとっての一番でいたいのだ。それは名誉とか地位とかじゃなくて、特定の「誰か」なのである。だから大勢の女性同士の関係は難しいのだ。だから自分の彼が、仕事が一番になった時に、悲しくなっちゃって「仕事と私、どっちが大事なの」なんていう常套句が出てしまうことになる。