幼い頃から苦手だった「音」について書いている。
 ちょっと生活に不自由を感じていることに気付いて、改めてそのことについて。
 前回は、風の音と雷のことについて書いた。幼い頃なら、皆そういうところもあるだろうし、周りも何やら怖がっているらしいとわかっていたことだったので、怖がる私に理解はあった。
 でも小学生に上がってからも私は音に悩まされた。
 まずは花火。自分より幼い従妹が楽しんでいるし、キレイな花火なのに、ものすごく怖かった。音が鳴るまでドキドキしてしまうくらいに怖い。今も本当はあの音、少し心臓がドキドキする。うるさいし怖い。でもキレイだと思う気持ちの方が今は強いので、ごく近くでも見ていられる。
 それからよく言われる、徒競争の時のピストルの音。本当に不自由する人が言うような「耳をふさいで立ちすくんでしまう」というほどではないものの、高校生になってもドキドキした。あの「パン」の音が怖くて仕方なかった。
 さらに、食べ物の好き嫌いについて書いている時、耳に響くからという理由で嫌いなものが幾つかあることに気付いた。生玉ねぎとからっきょうとかはその類である。色々克服できた耳障りの悪い物もあるし、耳に響くという理由じゃなくても嫌いな食べ物はあるが、日常食べる物の中では好き嫌いはほとんどなくて、唯一生玉ねぎが障害となっている。その理由がそれだ。
 そしてもう一つ。ごくごく最近気づいたのは、赤ちゃんや子供の泣き声に伴う母親のキーキー声だ。赤ちゃんや子供がキーキー言うのもうるさいが、多分それは誰でもだろう。母親のヒステリックな声や様子も見ていて嫌なもので、それも多くの人がそうだろう。でも、ちょっとした叱る声でも私は耳をふさぎたくなる。髪が横にあるのを良いことに、私はソッと耳栓をするようにしている。そうでないとじっとしていられないくらいにドキドキバクバクしてしまうのだ。今後ショートカットにしたらどうしようかと思うが、そういう時は、雑音がだいぶ消えるイヤホンというのがあるので、多分それを耳につけて、音楽を聴いているフリをしながら音を軽減させるだろう。
 思えば、小学生の頃、鈴を集めていた。あらゆる心地良い音がすることが気に入っていたし、中にはものすごく気に入った澄んだ音がする鈴があり、相当気に入った音の物は、今でも大事に取ってある。
 音楽という意味ではなく、私は音にかなり敏感で、少し日常に弊害を感じている。
 もしかしたらそのせいで、めまいも起こしやすいのだろうか。メニエールは耳の中の器官のことだけど、音が苦手なことと何か関係あるのだろうか。