関西の神戸と大阪の間、ニューヨークに近いニュージャージー、札幌、と、暮らしてきた私は、自分では気づいていなかったが、都会っ子らしい。今の土地に住んでつくづくそれを感じる。機会あって夫や私の実家に戻り、街を歩くと本当に気持ちが晴れる。人が多いのもそれほど苦にはならない。東京のようにどの電車に乗っても、どこに行っても人だらけ、というのは疲れるし、大都会向きではないと自分で思っているけど。とにかく今、田舎に住んでいて、ちょっとゆっくりカフェなんてのも決まった所しかなくて、車がないとどこも出かけられないとかいうのはすごく不自由に感じる。買い物も、今やネットでなんでも手に入るけど、私は実際に手に取って見るのが好きだし、ネットで買い物したって気分は全然晴れない。買い物しなくたって街を歩くだけで気分は晴れるのに。
 街行く人の服装を見るのも私は好きです。オシャレし過ぎていなくたって、その人がその服を「選んで着ている」と感じるのが面白い。田舎だとオシャレにこだわると浮いてしまう。スーパーとは言えども、そのまま家事ができるような格好でショッピングしている人もいる。正直、つまらないのだ。華やかな恰好をしている女性も少ないし、カジュアル路線にしてもその人の傾向みたいなものを感じられる男性も少ない。
 そして「ちょっとした用事」の幾つかは、近くにないから、その「ちょっとした用事」を「ちょっと」で済ませられないのだ。年取ったら都会で暮らすことになるだろうと思う。と、夫とも喋っている。夫も都会っ子だ。
 しかしです。
 この前、何となくネットニュースを見ていて、初めて「田舎で良かった」と思うことがあった。
 それは、カフェでの過ごし方である。時々書いているように、私はこういった文章をカフェで書いていることが多い。家にいると家事が気になったり、他にできる好きなこと、例えばゲームとか発声練習に始まっての歌の練習とか気になったりして、文章は後回しになるのだ。好きの優先順位じゃなく、他の物が目に入り過ぎる。あれもしようこれもしとかなくちゃって思うのだ。ちょっとくらいは書けてもあまり集中できないし「書いた」という達成感もない。文豪たちが地方に行って、旅館で書くなんて意味がわからないとか思っていたけど、こんな程度の文章でいちいち環境を変えたくなるのだから、もしかしたら、そういったことなのかなあとボンヤリ思う。
 ところが、都会では、カフェでパソコンを広げている人「だらけ」らしい。そしてある時「ここはパソコン教室か!」と大声でツッコミを入れて、いい加減にしろ出ていけと怒鳴った人がいたらしい。半分くらいが出て行ったとのこと。出て行った人たちは、飲み物も終えて、必然ではないことをパソコンで見ていたのであろうか。待っているお客さんがいるのに飲むとか調べるとか用事もないのに居座っているのなら確かに問題で、そりゃそうも言いたくなるだろう。だけど、私がこの文章を書いている最中にそんな風に言われたら、どうしようかと思う。気まずくそのまま書き続けるのか。嫌な気分でその場を後にするのか。ああ田舎で良かったと思った記事であった。