息子がヴァレンタインチョコをもらって帰ってきた!! と言っても義理チョコである。
 それでも初めてのことなので、私としては、心の中でデレッとした顔してバンザイなのだ。部活の中で女子は少ないのだが、その女子の中に、好きな男の子でもいたのだろうか。目立つのが恥ずかしくて皆に配ったか。本命の男の子にだけメッセージ入れるとか! なんてちょっとキュンキュン感を楽しみつつ、いや最近は「友チョコ」なんてものの方が多いから、単純に自分が作ったのを配って見せたいのかもなあと思う。友チョコでも義理チョコでも良い。母は嬉しい。息子が板チョコを大事に少しずつ食べたり、手作りチョコの取っ手の部分とチョコがポロッと取れて「ワハハ!」とか笑いながら食べていたりするのを見て、ほのぼのしてしまった。
 そして「お母さん、個人的にチョコレートをあげたことあるのいつ?」なんて息子に聞かれて、バレンタインにまつわる色々なことを思い出した。
 幼少期にニュージャージーで暮らしていた頃のヴァレンタインデーはとても楽しかった。朝学校に行くと、クラスの皆で友達たちとカードを交換する。そのカードはヴァレンタイン用のカードで、店でたくさん売っていて、だいたいがまとめ買いし、適当に何か書くか、相手の名前と自分の名前だけを書いておく。そしてそれを皆で交換する。その量は結構な物で、もう「お互い配る」という感じ。だけど、友達でも渡したくないとか渡さないでも良いという子には渡さないというその辺りもハッキリしている。やっぱり女子同士でももらえば嬉しくて、この子は私を友達と認めてくれているんだという気がしたし、男の子はあからさまに好意を寄せていることを書いてくる子がいたり、義理の子もいたりした。義理でもやっぱり友達として認めてくれている感じがして嬉しいもので。一番好きだった向かいに住んでいた日本人の男の子は、名前しか書いていなかったので、「なんだよ冷たいなあ」と思ったものだが、きっと疎いのだろう。と思うことにする。そういうのがきっと面倒くさいタイプなのだ。と思うことにする。
 とにかくこの日は、みんなウキウキして、自分のもらったカードを大事に持って帰る。そりゃあもう皆が相当な数持って帰ることになる。自分の好きな子のカードはもちろん(名前しか書いていなくても)、好意を寄せてくれている女の子の友達たちのカードを何度も読み返す。好き好きアピールが強い外国人たちのカードは読み流す。だって彼らはちょっとでも好きって思えば簡単に好きって言うイメージがあり信用ならなかったのだ。幼い頃からそんなことは感じていた私であった。あとは、単純にカードが可愛いので、いつまでもそういったカードは置いていた。年月が経ち、もう捨ててしまったのか、持っていないのが本当に残念である。全部置いておけば良かったと、あれだけは「捨ててしまって後悔」している物である。片づけられない人の対極を行っている私が、後悔しているのだ!これは大ごとである。でもそのくらい可愛く、そして思い出深いものである。