ヴァレンタインの思い出はまだ続く。
 日本に帰国すると、その4か月後くらいにヴァレンタインがあった。男の子たちが「チョコちょうだいよ」と言ってくる。へえそういうものなんだと思い、「良いよ」と簡単に言った。家には、帰国時に持って帰った甘いチョコレートがたくさんある。
 そしてそういう珍しいチョコがあるということにつられて、家に10人近くの男の子が押し寄せてきた。私は玄関前の門で、ハロウィンのように皆に配った。その直後、皆がかくれんぼしようと言い出して加わったのだが、鬼に見つからないように近づいてタッチするシステムのかくれんぼを知らなかったので、皆がニヤニヤ笑いながら無邪気に楽しむ私を見ていたのが不思議だった。
 ルールがよくわからないまま終わり、翌年もチョコレートをねだられてさすがにその頃には日本のチョコレートをあげたと思うが、かくれんぼに加わろうとしたら、「えっどうしたん?」みたいな反応をされてしまった。やっぱりニヤニヤしていたので、無邪気過ぎる私を可笑しく思っていたんだろう。このころには、自分が帰国子女として浮いてしまうことがあるのを感じていたので、ちょっと惨めに感じた。
 その後転校してからチョコレートには縁がなかった。小学六年生の時に、もう今思えば誰がどう見ても両想いの男の子がいて、教室の中ではすごく仲良かったのだが、あまりにクラスの人たちにもバレバレで私も照れちゃって「もうそういうの、良いやん」て感じでやり過ごしたら、その男の子がほんのちょっとプンとしちゃって、数週間くらいヨソヨソしい態度をされてしまった。ホント、そのくらいあげれば良かったとも思うけど、私は当時中学受験もあって、そういうことに浮かれている場合ではなかったのと、卒業するといずれ離れるからという冷めた部分も確かにあった。
 中学以降は女子校だったし、私は先生にときめくようなタイプではなかったので、特に男性にあげたいと思うチャンスはまったくなかった。でも当時は「友チョコ」という言葉はなかったものの、私は高校生の頃、作っていた記憶がある。お菓子作りに目覚めた頃で、本の通りに生真面目に作れば、必ず成功し、そこそこには美味しく出来上がる。それが楽しくてケーキを時々作るようになっていた。だからその年によっては、友達の中でも大好きな友達や、グループの仲間などに配ったり、大きい物をあげたりしていた。やっぱり他にもケーキ作りの好きな子はいて、自分の仲良しの友達に「あげる〜」と渡していた記憶がある。それは、義理とか友達との競争意識とかでなく、単純にケーキを作るのが好きな子が勝手に作ってきて、普段の仲良しにあげるといった感じだったので、今みたいに「お互いに友チョコを配る」という感じではなかったように思う。
 ただ、今の友チョコに関して、私は批判的なわけではない。幼少期、カードを配り合っていたニュージャージーでの思い出があるからだ。ああいう雰囲気は何だか楽しいもので。ただケーキやクッキーやチョコレートを作ることは、カードほどお手軽ではなく、不得意な子もいるだろうから、お互いに負担にならなければ良いなと思っている。
 色々と懐かしいヴァレンタインの思い出である。