高齢の方たちを見聞きする機会が多くあって、自分の中で初めて「不安」という気持ちがわき上がった。
 もしかしたら自分もそうなるかもしれない。そもそも突然何かで体が不自由になるかもしれない。そんなのわからない。できるだけ「生きていたって……」なんて思わないで生きるためには、今までの「生きていて結構良かったんじゃないかな」と思える気持ちを今後無駄にしないためには、どのように年を重ねていけば良いのか。
 最近、特に時々ふと虚しくなる気持ちを思い返して、考えることにした。何故虚しく感じるのかはわからない。友人も同じようだと聞き、「きっと更年期のせいだよね」と、何かのせいにして軽く済ませるようにしている。夫が多忙を極め、息子が勉学や遊びにいそしんでいる時、私はこんな風に買い物をしていて良いのかと思ってしまう。それが家族のための買い物であっても、必要な食材であっても。又、それこそ更年期のせいなのか体が言うこときかなくて部屋で横になって疲労感と格闘している時、まだある生理痛のせいで苦しんでいる時、そんな時でさえ、虚しくなる。だけど更年期って、気持ちが浮かないものであるらしいし、私はそれほど落ち込む気はしないと勝手に思っている。多分体の方が色々不調を訴える気がする。身体が不調を訴えれば、心も健康でなくなるのは一般的だけど、私は元々しょっちゅう体が不調になるし、更年期を過ぎれば意外と人並みに元気になってくる家系らしいので、とりあえずひどい生理痛とおさらばできるし、私はこの時期が過ぎ去ってくれるのをむしろ楽しみにしている。
 そしてそれが過ぎ、元気になったとして、はて、私は「何かした」と言える人間になっているのか。社会に恩返しや貢献したりできる人間になっているのだろうか。
 以前は、「これができる」という人になりたいと思っていた。いや、今も思っている。でも、そういうのがなくても構わないとも思い始めている。年を取ってきた人たちを見て、「僕はこんな立派な仕事をしていた」「私はこんなに元気で、こんなことをしていた」と言われても、その後に何の趣味もなく、楽しみもない人を見ていると、それより以前に何をしていようが、哀れにしか見えない。昔取った杵柄は、へーすごいなーとか思うけど、それで?という気がしてくるのだ。そういったことって、周りが勝手に言っていれば良いの。私なんかはそれもないけど、でも構わない。それより「どういう生き方」をしてきたかなのだし、どんな風な年の取り方をしているかなのだと思う。
 立派な趣味などでなくて良い。ゲームやテレビでも良いし、次々と変わる趣味でも良い。その時、好きなことや楽しいことがあれば良いと思う。これが好き、これが面白いと思って取り組む気持ちがとても大切だと思う。人に何か些細なことでも、それまで知らなかったことを聞いたり教わったりした時に「へえ!」と心を動かされる気持ちが大事だと思う。柔軟で豊かに動く心を持っていたい。「こんな風に年を取りたい」と思った高齢の方々がそういう印象だった。動かせる身体の部分を動かすことで頭の血流を良くして、人を受け入れる度量を持つことで心も動かされる。そうやって身体も心も動けるように、どちらもちょっとで良いから鍛えておく。これが大事なことだと、しみじみ感じた。