そして『君の名は』について、キネマ旬報にランクされなかったことについて、ああだこうだと書かれていることを最後に書いておきたい。
 キネマ旬報のランクは、独特です!
 何故なら選ぶ人たちが、私のような時々しか映画を観ない人、そうでなくてもまあまあ観る人、結構観る人、などと、比べられるような人たちではないからだ。私が一番時間があって、よく映画を観ていた大学生の頃、年に100本くらいを何年か続けて観ていたが、ビデオで借りる程度だし、そのくらい観ても、キネマ旬報で選ばれる映画は、そんなものじゃ追いつかないくらい、マイナーな映画なこともあり、選択肢にある映画も、その評価の仕方も実に渋かった。知らない映画が挙がると、そ、そんな映画あったんだ、他の人たちも選んでいる、よほど良い映画なんだろうな……というくらいで。その中でメジャーな映画も結構あった覚えがありますが、ああ良い映画なんだと思っていた。その評価の内容を読んでいると、なるほどそういう観方をするのかと感心したり、評論家の人たちの意見にはなるほどと思わせられたり、いやあもう理解できないやと思うものもあったり。
 つまり、自分の好みとは違うことも結構あるものだという認識。プロはこのくらい観て、こんな角度から観て、人にも決して流されない、すごいなあと。私はちょっとビデオで借りてきて観て、自分の楽しみ方をして、話題になったものも「そうかそりゃあ話題になるよなあ」と実に単純にできているし、まあ簡単に言えば、それほど目が肥えていない。
 なので、キネマ旬報に『君の名は』が選ばれなくても、そういう人たちが、渋い選択をしているんだから当たり前だよなと思う。それを選ばれなかったと騒ぐのもおかしな気がするし、選ばれない方がまともな感覚だと声高に言うのも、無理している気がする。「そんなに良いか?大したことなかっただろう、選ばれなくて当たり前だよ」などと言っている人たちに言いたい。そんなに冷めて観ていたのか? それもそれで良いけれど、映画通ぶっている人たちより、プロの選択を、或いは素人の、そして何よりも自分の「面白かった!」を、私は信用する。映画って、自分が観た時に「観て良かったなあ。」「ここが好きだった」って言えたら、もうそれで感性を刺激されたということで、私にとっては、それで充分。
 アカデミー賞だってそうですよ。それならキネマ旬報よりなじみがあるだろう。アカデミー賞で選ばれたか、話題になったかで映画を観ることもあるだろう。だけど、そういった賞に選ばれているからと言って、観て、必ず自分の心が動くということはないだろう。おおすごかったと思うこともあれば、なんでこれが選ばれたの?とか、そんなに良かったかなあとピンと来ないこともあるだろう。話題になった映画でも同じ。そんなに面白かったかなあと思うこともあるだろう。個人個人の好みではないだろうか。自分が良かったと思えばそれでいい。自分が気に入ればそれで良い。
 ちなみに、映像がキレイだったと言う人もいて、それもわかるが、私はそれより、音楽が気に入った。良いのかどうなのかは知らないけれど、とにかく気に入った。若い感性を感じ、その歌詞のみずみずしさと声の艶に、心を動かされた。