『君の名は』を観るのにためらっていた理由を前回も書いたが、そのうちの一つ、胸キュンものの恋愛映画だと思っていたところがある。
 恋愛の要素がなくはない。好きだと想う相手がいる。でも、「恋い焦がれる」「相手が好きで両想いになるために」とかいう感じではないのだ。キュンキュンした少女漫画のようでは全然ない。ここは書いておきたい。きっと観た人たちみんなが「あれ?違った」と思っているはずである。内容がいくらロマンチックでも、ロマンチックっぷりが違う。「男女の」ロマンチックな恋愛ものではないのだ。
 恋愛映画というよりは、皆の心の中に宿っている不思議な感覚についてである。ちょっとしたタイムトラベル感もある。ストーリーも割と良くできている。良くできていても、でき過ぎという嫌味な感じはない。
 中高生にヒットしたのは、彼らが鋭い感性に目覚め、世の中のあらゆることの意味がわかったり、自己というものを確立したりしている最中だからではないだろうか。多分その鋭い感性に訴えかけてくる映画なのだと思う。
 では、私のような中年にもウケているのは??
 個人個人の感じ方なので、一般論としては言えないけれど、思春期の頃の懐かしい感覚を思い起こされることと、やっぱり前回も書いたように、人の心情を上手に描いているからではないだろうか。それも言葉ではうまく表現しきれない、わざわざ口にはしない、人の心の中のモヤモヤを描いているからではないだろうか。誰にでもあるモヤモヤだからこそ、ほんのちょっと口にするくらい。だって何の解答もないものであるとすぐに感じるので、各自、説明はしない。そしてもちろんこの映画にも解答があるわけではない。でも、あえて口にしない心の中で感じていることが、こんな風であったら面白いなあ、ロマンチックだよなあと思わせられる。もしかしたら友達や、彼や彼女、結婚相手、なんなら親子までも、こんな風につながっているとしたら? こんな出会いが実はあったとしたら? そう言えば、大人になってしまうと、昔の記憶は曖昧になっていく。いや、中高生の、自己が確立する頃には「幼少期の記憶」なんかほとんどないことに気付く。あっても、場面場面でしかない。大人になればそれが学生の頃となる。又、思春期の頃、何であんなことに突き動かされていたのかとか、何故あんなことに夢中になったのか、何故あんなことに執着していたのかと当時の自分の心情を理解できなかったり、忘れていたり、自分の気持ちを思い出せなかったりする。「あはは!何でだったんだろうねえ!」とか笑ってみているけど、実はそのことにも意味があったのかもしれないと思うと、人の人生って、その一つ一つがとても愛おしいではないか。
 そんな風に思わせられる映画なのである。人の心って面白い。人のつながりって愛おしい。こんな風に自分たちが出会っているとしたらものすごくロマンチック。あえて書かなかったけど、日本的なもの、風土や文化、宗教的なものもすごく強く感じました。
 この映画は、人の「説明できない思いや心」「わかりにくいもの」について映像やストーリーで表現したのだろうと思う。