観てもいない『シンゴジラ』なのに、ゴジラについて書こうとしている不思議な文となっています。
 ゴジラを怖がり始めたのは、まずあの表面の質感。そして目。夢にアップとなって何度も出てくる。だいたいが、自分のいる場所に突っ込んできて、突っ込んだ場所はだいたい顔の部分なのだ。怖がるから余計に何度も出てくるのかもしれません。そうやって夢の中でアップを見ているうちに、画面でも怖くなっていき、フィギュアも怖くなってしまった。
 『ジュラシックパーク』の恐竜も、肌の質感が苦手で、ものすごく怖かった。なのに、「観たい」という人と二度も観に行ってしまった。別々の人に言われ、どちらも断る動機が見つからず、怖いからいやだとか当時は若くて言えず、二度も。恐ろしかった。絶対に夢に出てくると思っていたが、恐竜が夢に登場することはない。しかしだ。ゴジラは時々夢にやってくる。なんなのだ。何年かに一回、突然ゴジラは私の夢にやってくる。やめてくれ。
 一時、ハリウッド版ゴジラをCMで観た時に「あれはゴジラではない。ジュラシックパークだ」と言った覚えがある。多くの日本人も似たような見解だろう。あんなになっちゃって。って。……だけど、帰ってきてしまった日本ゴジラ。そうそう、こういう感じよ、こっちが本物っぽい。
 ……じゃなくて!
 帰って来なくて良いよ〜!テレビで予告は流れ、番組でも紹介され、ツイッターでフォローしている人たちが大絶賛し、目にしてしまう機会がすっかり増えてしまった。案の定、夢にも出てきた。ああやめてくれ!!
 そして、夫と息子が『シンゴジラ』を観に行くと言い出した。なんということだ。
 私は、ツイッターで絶賛している人のコラムを読み、あらすじを読み、予備知識を得て、怖くないからきっと大丈夫と言い聞かせて観よう、そして家族で話し合う楽しい時間を持とうと試みた。……しかしダメだった。初めて二人対一人で、私だけ映画を観なかった。
 『シンゴジラ』は、日本の政治や社会の仕組みをリアルに見せる映画のようだ。会議のシーンが次々に出ると言う。それが面白いらしい。じゃあ観ても良いのではないか。……でもダメだった。ゴジラは怖い。その象徴ではなくて、あの外見が、という幼稚な理由で怖い。そして、別の人のコラムも幾つか読んだ。女性側の客観的な意見を読んで、やっぱり私は観なくて良いとその時は判断した。観終わった後の男友達のキリッと勇ましい感想を言う感じに何だか気持ち引いちゃったのだそうで。面白い映画ではあるのかもしれないが、熱くなる映画ではない、とその人は言っているようだった。
 しかし。さらにである。映画を観た後の夫と息子の感想を聞いて、「テレビ程度の小さめの画面なら怖いゴジラをアップで観なくて済みそうだ」と、秘かにビデオで良いからと、「シンゴジラ」を見る計画でいる。夫と息子、二人の感想は冷静で客観的、そして「日本人で、福島県人だと、なお面白い」と落ち着いた様子で話すのを見て、やはり観る人それぞれの感性があると感じ、私も観ても良いなと思えたのだ。決して勇ましくならない夫と息子を誇りに思う。