『シンゴジラ』を、観に行かなかった。
 あれ? 観に「行かなかった」?
 そう、観に行かなかったんです。何故わざわざここに書くのかと言えば、夫と息子が観に行ったからです。
 まず、人が映画を一人で観ることに関して言えば、よほど映画好きなんだろうと思う。じゃなければ暇か。時間つぶしに使う人もいるだろうし。でも基本的に映画が好きな人だと思っている。夫が出張先で時間が余っちゃった時に観る映画は、私が怖くて観れないようはものが多くて、「羨ましいなあ!」とか「観ることができなくて悔しい!」などとは思わない。私に気を使って、一人でいるからこそ、と観てくれているのだとも思う。息子にも観せないようなRatedがついているものも一人で観てもらう。だけど。
 私だって映画は好きな方だ。映画の醍醐味の一つに「終わった後に感想を言い合う」ことがある。このカテゴリーでも最初のほうに書いたと思うけど、印象に残っている部分を言い合うと、意外と人それぞれ違ったりするのだ。良い映画ほどそんな気がする。一番印象に残っている部分が一緒だとしたら、その次に印象に残っている部分を言い合う。それがとても面白い。それぞれ個人の解釈とか感じ方の違いを感じる。
 同じ映画を観る人って、そうそう身近にいない。するとやっぱり一緒に観に行った人と感想を言い合う。観終わった直後なんて特に興奮しちゃってるから、鮮明に一つ一つのシーンを覚えていて、そのことについて話すのが楽しい。
 だから家族の中で誰か一人「あれ観たい」って案があると、できるだけ一緒に観る。そして先ほども書いたように私は怖いのが苦手だ。ドキドキハラハラを売りにしている映画とかアクション物で痛そうなシーンが連続するのはすごく苦手なのだ。嫌悪しているわけじゃなくて、単に怖いのだ。昔はホラーだけが苦手だったはずなのに、今は痛そうなのもできるだけ避けるようになってしまった。なんでだろう。そういうのを超越して作品を観ることができない。実はあんなに好きな『オデッセイ』も、最初の方で、ワトニーが自分で自分の体を縫うシーンがあり、そこをどうしても観ることができなかった。そんな時はスクリーンの角を観るか、目は画面を向いているけど焦点をぼかしてちゃんと観ないようにしてしまうか、下を向くかしてやり過ごす。たぶん、子供ができてから、余計に暴力的なシーンが駄目になってしまったのではないかという気がしている。何故かはわからないけど。以前より恐ろしく感じてしまい、観ることができない。誰か分析して下さい。
 そして実は私、幼いころから「ゴジラ」がめちゃくちゃ怖いのだ。ちゃんとした映画は観たことがないが、アメリカで5歳頃、日本の番組を見ていた時に、邪道と呼ばれている「ゴジラモスラ」だの「ガメラ」だの割と平気で観ていた。でもゴジラのボコボコした皮膚の感じがいやだなと幼心に思っていた。
 それが決定的にいやになったのは、夢に出てきてからだ。あの表面の質感が夢の中でアップで出てくる。気持ちが悪い。
 そして次にテレビだかで観た時に、その目にゾッとした。えーん怖いよ〜〜〜。