自分が中学二年〜三年だった頃のことを振り返ってみる。
 学校でもその頃は、クラス替えなどで友達が一時減り、減ってからなかなか増えなかった。家庭では孤立していたような気持ちになっていたけど、どちらかと言えば私が祖父母に苛立っていたように思う。それで一緒の部屋にいたくなくて、二階に上がっていた。自分の部屋は特にプライベートな空間で、とても快適だった。扉を閉めると、皆、勝手に開けるようなことはしない。好きな音楽を繰り返し聴き、日記や詩を書いたり、友達に手紙を書いたりして時間を過ごした。勉強しなくちゃなーと切羽詰まると頑張ることもあった。本や漫画や雑誌も熱心に読んだ。自分の世界にこもっていても、それが私の空間であり、快適な時間であった。
 母は家庭のことで忙しくしていて、私が喋らなくなったことについて無頓着だったのではないだろうかと思うが、それなりに色々心配ではあったらしい。母が何かにつけて口出ししてくると「わかってるよ。自分が今までしてきた子育てにもっと自信持ってほしいなあ」と思っていた。でも自分がいざ親になってみると、子供ってまだまだできていないことだらけだし、遅いから口出ししたくなるし、自信はないものである。ああちゃんと育っているんだと思う反面、あそこが足りなかったのでは、あの対応がまずかったからでは、という連続である。でも自分のそういう気持ちを思い出して、ああそうだった、私も息子を信じて見守る姿勢も大事なのだと言い聞かせてみる。
 そしてよく考えると、息子にはあまりプライベートな時間がない。大好きなパソコンは、部屋に置かせてもらえない。もちろん息子だけのを買うつもりはない。勉強は色々あって、リビングやダイニングでするようになった。そんな中で、パソコンをのぞかれるのは嫌な気分だろうと気が付いた。自分のプライベートな空間や時間がそれほどなくて、そりゃあ留守番もしたくなるだろうし、自分の感情のぶつけ所もないから嫌な表情や態度もこちらに見えてくる。少しかわいそうに思うので、パソコンをしている時は、できるだけ没頭させてあげようと思う。
 それでもふと思い返すと、ブルーハーツなんかを聴いていたのは高校二年生の頃。あの頃もまだ部屋にこもっている時間は長かったし、友達ともよく長電話していた。ケータイもない頃だったので手紙も熱心に書き、友達と自分の声を録音して喋り、交換していた。晩御飯まで昼寝もしていた。ということは、息子もまだまだこういう時期が続くということなのだろうか。
 こちらは更年期に入ってきて、体調が悪い時には、どうしても気分も良くなくて、対応も今まで通りにはいかない。
 以前『思春期の子とのコミュニケーションに困ったら読む本』(大塚隆司著 大和出版)を買っていて読んだことがあった。当時は、知識として知りたかっただけだったけど、今こそ読む時だ!と思い、改めて読んでみると、ものすごくうなずかされることが多かった。そうそう!そうなんだよ!!なるほどなるほど。と共感したり納得したりしながら読んだ。