幼い頃の私は、多くの兄弟姉妹がそうであるように、年上である兄が大好きで、真似ばかりしていた。これも多くの兄弟姉妹がそうであろうが、いじめられることもあった。それは時々息子への態度として出てしまい、がく然とすることも。本当にそういう時の自分が嫌で、一人で泣いたり、後で謝ったり、気づいた時には頑張って自制するようになった。
 又、私は、ずっと兄の褒め言葉を聞いて育ってきたように思う。単純に、兄は勉強関連での出来が良く、頭も良かった。どこか可笑しくてユーモアがあり、よく喋って家庭での注目を浴びていた。そういう人であったことを母は私に表現し、おそらくただ「お兄ちゃんてこうだよね〜」と、兄以外の家庭内の仲間として言いたかっただけなのだろうが、私には「そこがアナタにはないところよね〜」と聞こえてしまった。私は、それほど勉強もできていない、それほど頭も良くない、それほど面白くもない、それほど喋らない。
 私にはできていないところだらけなのだと思い込んだ。
 だから私が勉強するのは、自分のためでなく、「アナタもできるのね〜!」と感心されたいためで、勉学や学問そのものに興味はなかった。そんな考え方じゃあ伸びるものも伸びない。行き詰まってから本当に苦しかった。絵の描き方とか色彩感覚とか、そういったセンスについても、兄の褒め言葉を聞いていたので、私は長い間、自分で何が良いのかよくわからなくなっていた。お喋りに関しても私は、家族の中で一番年下だったために、加われなくて疎外感があって黙っていたが、これがおとなしいと言われる所以であったし、長い間コンプレックスであった。そして、より喋らなくなった自分のせいで多くの常識的な物事を知らずに育ってしまった。黙っていると色々考える時間はあるので、考えることは好きになった。でもこれも良くない部分だと思い込んでいた。そんなことないはずなのに!
 そんな中、私は頑張ってもいた。兄ができない部分で私はできることを増やそうと努力した。アナタはこれが得意ねと言われようと頑張り、言ってもらえた部分もある。女の子だから、女の子なのに、という意識も手伝って、だからこそ頑張らなくては、なのにできない、ってところを見せたくないなどと思って努力した。
 だから息子に対して、私はあれだけ努力したのだからという思いを押し付けてみたり、日常生活において兄と比べてみたり、できるようにならなければいけないと思い込んでいた気がする。
 そうやって、最近まで自分が息子を褒めていないということには、まったく気づいていなかった。そして息子に「アナタは色々できていないんだから」という態度で接していたことにも気が付かなかった。褒めることを心掛け始めてから、私はなんてつまらない子育てをし、息子を嫌な気持ちにさせていたのだろうと気が付いた。私は息子に「アナタは色々できていないオーラ」満載!で息子に相対していたのだ。これは大きな発見であった。このことについては今後、度々謝るつもりでいるが、今は相当頑張って償わないといけないという気持ちでいる。息子の自信をしっかり取り戻してもらうために、もう少しだけ息子に呑気に前向きに生きてもらうために、私はもっと頑張りたいという気持ちでいる。