元々あまり声は高くない。もちろん幼い頃は高かった。「あんなに可愛い声だったのに」と母に嘆かれる。でも、帰国子女であまりに周りの様子を見過ぎて、声を発しなくなったことが関係している……とも限らない。立派な声変わりを果たしたのか、私の声は気がついたら低くなっていた。かと言って、中学高校の頃に合唱で分けられると「必ずアルト」というほどでもなかった。きっとめちゃめちゃ低いわけではないのだろう。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトと分けられていて、私はメゾソプラノだった。時にはアルト、というくらい。当時も今も、自己分析は「単に音域が狭いのでは」というもので、やっぱり私の声は低いのだ。
 顔見知り程度の奥さんと会った時や、緊張して電話や知らない人と話す時は高くなるけど、普段はやっぱり低い。音量も小さい。子供ができて「こんなでは親としてイカン!」と思い、なるべく意識的に声を大きくしているが、声が通らないから、やっぱり聞こえにくいようだ。
 声が低くて何か困ることがあるのかと言えば、単に自分の声に嫌気がさす時があるというくらいだけど。何でこんな低い声でボソボソ話しているのだと思う。可愛げがない。そしてカラオケなど歌を歌う時に高い音域が出ない。あんなのは練習すれば出るというが、練習する機会がない。練習したところでカラオケ以外に特に発揮する場もない。だけど、時々気を抜くと低い声で話していて「可愛くなーい」と自分で思う。しかも年齢を重ねるにつれて迫力も増している気がする。良くは思っていない。
 この前も自分の声がいやだと実感する機会があった。息子の担任の先生に電話した時のこと。年度変わりで、早速息子が失くし物をしたもので。帰宅してしまった息子がそばにいて、でも明日使わなければいけない物で、なかったら困るから、担任の先生に、忙しいだろうと恐縮しつつ、少しその辺りを探してほしかった。担任の先生は、30歳くらいの、私にとったら若い先生で、先生ぶりも明るくて、顔立ちも綺麗で可愛いタイプである。電話口に出たその先生の声が「娘?」と、女の子を産んだ覚えもないのに、そのくらい可愛く感じた。先生、可愛い声……。緊張して高くなっているにしても、若い人特有の可愛い声なのだ。低い声の私もこんな可愛い声を出す時期があった。はずだ。
 結局息子の物は見つからず、私も恐縮し、先生も恐縮していた(翌日見つかるのだが)。電話を切った後、ガックリしている私を見て息子は「見つからなかった?」と心配顔である。でも私はそんなことより、自分の声の太さと低さにガックリしていたのだ。先生の声の後に聞こえてくる私の可愛くない声。態度の厚かましさ。決してそんなつもりはないけど、なんか厚かましく感じた。そんな風に感じるのはきっと声のせいだ。太さと低さが迫力を醸し出しているのだ。しかも恐縮はしていても緊張していない。だから全然高くもならない。
 「年の功よ」と笑う母の慰めをよそに、私は心底「自分の声は、なんでこんなになってしまったのか」と静かにうなだれたのだった。