息子が思春期に入った。その目安として、周りの目を気にするようになったことだと感じている。あんなに家にいる間中ずっと喋っていた息子が、黙っている時間が増えたし、イライラしている態度や表情もわかるようになった。
 しかし先日、とうとう顔のことを聞いてきた。
 「僕の顔って、お母さんから見て、っていうか、親の言う‘自分の子供は可愛い’とかじゃなくって、客観的にどう思う?」
 って。好きな子でもできたのだろうか。少なくとも気になる女の子ができたのかな。授業参観に行った時は、同じ班で、やたらクスクスと笑いのツボが合うんだろうなと感じる子はいたけどあの子かな。いや、単に女の子自体が気になってきたのかな。
 幼稚園の頃、大好きな男の子と手をつないで遊んでいたり、特に「○○ちゃん好き」とか言わなかったり、今までも誰それが好きそうだとか、テレビを観ていてあの人のファンだとか、なんにもその気配がなかったので、女の子に感心があるのを知ってちょっとホッとしている。まあそうは言っても、初恋の人がどうやら一年生の時の教育実習に来ていた先生らしいとか、幼稚園の頃も某ファストフード店で見ず知らずのめちゃめちゃ可愛い女の子に突然手を振ったとか、それを見て「この人可愛いと思う?」とテレビを観ながら似た傾向の顔の人を指すと「そうだねえ」と言ったことがあるとか、決して男子が好きとかいう傾向があるわけじゃないのはわかっていたけど。でも小学生の高学年以降、好みの女の人が一切いないことが、ちょっぴり気になっていた。
 さて、そんな風に顔のことを聞かれた私は「目がかなりパッチリ大きいし、あごと口元が良いと思うよ。寸が詰まっている方だし眉毛もちょっとㇵの字で優しそうだし、良いんじゃないの?今はまだ小さいから‘濃いめ’の顔だけど、もうちょっと大きくなるといい感じになると思うよ。」と褒めた。すると「遠回しでも良いから顔でダメなところって言える?」と聞かれ「ええ〜?」としばらく考えてみたが。「……口がよく開いていてアホみたいに見えることがある」と正直に言ってしまった。
 だいぶ後になって気づいた。私にもし女の子がいて顔のことを聞かれたら、一番好きな映画『マイガール』の一番好きな場面、継母が主人公の女の子を褒めるシーンのように褒めたいものだと思っていたことを思い出した。英語の、褒める言葉の豊富さに心が温かくなるシーンである。一つ一つのパーツを、継母の主観で、心をこめて丁寧に答えるのだ。何て素敵なシーンだろうと思った。なのに、いざ息子に聞かれるとそんなことはすっかり忘れていた。一つ一つのパーツを答えた私は、「マイガール」の観点から言えば、まあまあ合格点かもしれないけど。息子は具体的で客観的な返答を求めていたのでそうなったというだけで。夫は夫で表情とか雰囲気に関する返答をしていて、種類の違った答えを聞いた息子は満足していた。
 それにしても「口がよく開いていてアホみたい」は、もうちょっと言い方があるでしょうに。ま、客観的と言えば客観的なんだけどさあ。自分の雑な言いっぷりを振り返って苦笑いである。惜しかったな、私。