服の好みに関して、センスの良し悪しなんかはわからないけど、色の取り合わせを考え、それで自分の好みが表現されるのが好きで、好みもかなりはっきりしている。
 昔、母がよく買い物に連れて出てくれて、季節ごとに好みの物を買ってくれた。しかし私の好みが細かすぎて、なかなか見つからず、足が棒になるまで歩いてようやく一着見つけられるか見つけられないかというくらいだった。母もよくそんなのに付き合ってくれたと思う。もし自分に娘がいて、そんなに細かいこと言って歩き回らされるのだったら、30分ごとくらいに「お茶しない?」とか言って休んじゃいそうだ。そうじゃなかったら、どこかのベンチに座って「好きなの見つけられたら呼んでね!」とか言ってそうだ。
 母には甘えて、結構遠慮せずにあれこれ買ってもらったが、自分で買うとなるとやはり慎重になる。夫が稼いだお金で私は好きに買わせてもらっているが、やっぱり無駄遣いはしたくない。自分で決めている範囲内で買うようにしているが、それを超えてもそれでもど〜うしても欲しい時がある。最近は安くて良い服や好みの服も多いので助かるが、きちんと何日も考えて頭を冷やしてから、欲しいかあきらめるかを決める。
 とてもカジュアルな物と、品が良くてヨソイキと、私の好みは極端になりがちで、それが自分で困っているところだ。何故なら「無難な服」があまりないからだ。でも無難な服は、すごーく便利なのである! 無難な服をあまり持っていない私は、しょっちゅう着る服に困っている。又、今住んでいる所は田舎で、オシャレをして出るところがなく、段々地味になっていく。それで夫の実家のある札幌や、私の実家のある関西に行くと、自分がものすごく地味でびっくりすることがある。もうちょっと華やかにしていても良いじゃないかと思うのだ。いくら華やいだ格好と言っても、若い人とまったく同じような恰好は客観的に見てもおかしいし、鏡を見てガッカリするので、その辺りも考えている。
 そしてそんな私がいつも「そんなに要らないのに欲しくなってしまう物」がある。それはワンピースと水着。ワンピースはカジュアルな物からヨソイキ、フォーマルの物までどれも可愛くてほしくなってしまう。そんなに着ないのに。幼い頃は母に「ママみたいに、ウエストからのスカートが着たい」とか言って、スカートに憧れていたのに。ついワンピースが欲しくなる。いくらでもほしくなる。大して着ないのに。
 水着も一緒。水着なんて、本当に着ない。海は好きじゃないし、ほとんど行ったことがない。プールで泳ぐことは好きだけど、今や子供も大きくなってそんなに遊びに行きたがらないし、行ったとしてもそんなにレジャーっぽいプールじゃなく、市民プールだったりして、どちらかと言えばスポーツクラブなんかで着るような地味でスポーティーな物を着る。なのに!売り場で水着を見つけると、しかもフェアなんかやっていると、ついつい足がふら〜……と、そちらを向く。見始めると「わあ欲しい!!」とさんざん悩むのである。買うか買わないかである。着ないのに。だから最終的には買わない。自分でも何故なのか不思議だが、さんざん悩んでから「着ないし」とか冷静になって売り場を去る。ワンピースも水着も、結局着ないからとあきらめることが多いとわかっているのにすごく葛藤してしまう。疲れるので、この欲求、どうにかできないものか。