そして夕方、母がやってきた。その姿を見て初めて「ああ来れたんだ」と、やっと安心した。
 息子もやってきた。
 息子も毎日学校帰りに歩いて病院まで来てくれた。部活にも出たいだろうに、「僕が来てくれて嬉しい?」と、自分の役割を全うするのだと頑張っていた。
 家の中でも、夫の言うことをよく聞き、気が張っていたようだった。病室に来ると毎日のように「眠い」と訴え、病院のマッサージチェアで30分位寝ていることも。狭いカーテン仕切りの中、宿題をし、英語や国語を朗読し、オナラおばあさまには好かれていたようだったけど。帰宅すると、クタクタらしく、毎日早くに布団に入り寝てしまっていたらしい。随分頑張らせたようなので、学校が休みになる前日に、個室で二人きりの時間を持たせてもらって、ねぎらった。本人も「僕、すごく頑張った!」と泣きそうな顔で訴えた。「いやあ大丈夫だったよ」と言うかと思ったから、気が張っていたんだなあと胸が痛んだ。
 おばあちゃんに会った息子はハシャいで、変なテンションや変な自己アピールをしていたが、兄と私を育てた母は、あまり気にしないでいてくれていた。私より引きずらないタイプなので、私も息子が落ち着くのを見守ることにした。
 個室では、何時に何をしに来ます、ということを伝えてくれたので、色々動きやすかった。外来の時間も基本的に自分で行くものなのだと思うが、気にかけてくれていた。曜日の関係なのかわからないが、掃除機をかけてくれたり、トイレも掃除してくれた。
 金曜には、早朝に血液検査と尿検査があり、外来に行くと、「異常ありません。順調でしたから、土曜以降、いつでも退院できます」と言われ、舞い上がった。舞い上がった私は、食事内容をもう少し固い物でも大丈夫ですと伝えるのを忘れ、看護師さんたちの手を煩わせることになる。そう、ずっと私はおかゆと離乳食のようなおかずを食べ続けていたのだ。手術後翌朝にムカムカしていた胃だったが、昼にはお腹が空き、夜にはおかゆ以外は完食であった。それから毎日、おかゆ以外のおかずは、ほぼ平らげていた。おかゆは水分が多いのと、おかゆに付ける物が少なくてどうしても余ってしまっていた。入院したての時は、普通のおかずだったので、「ああ、出産した時の病院が美味しいと言われる所以がわかった」と思っていたが、手術後の離乳食(いや、本当の「離乳食」ではないのだが)は意外と悪くなかった。作り手の苦労も伝わってくるようで、早く普通食に変えたかったが、どうにもアゴが開かないので仕方ない。スプーンに、すりきりで乗せたおかずを、顔を上に向け、上から流すようにして口の中に入れていた。
 徐々に徐々に良くなっていった。アゴが少し開くようになると、上から流すようにしなくて良くなり、ほんの少しスプーンから盛り上がっている量でも口に入るようになった。口角もすごく痛かったし、見ても痛々しかったが少しずつ薄くなっていった。ほっぺたの傷も薄れていった。退院の時まで気になったのは、下を向いて作業すると、ほっぺたやアゴに重力が加わって、すごい圧迫感なのだ。なので、長く下を向いていられないことと、口の中の鈍痛は最後まで抜けなかったこと。意外と、上の二本の手術跡も痛んだ。