手術当日。
 朝から看護師さんにお茶を勧められ、「えっ?今日手術あるんですけど良いんですか?」と聞くと「良いんじゃないですか」と言われた、一口、お茶をすすった。手術は午後からと聞いていたので、朝7時頃なら構わないのかな……色々と「紙の説明通りではない」と聞かされた私は混乱していたこともあり、看護師さんに勧められたこともあり。
 ところがこれがダメなのであった。
 医者やわかっている看護師からしたら常識なのだろうが、手術の経験がない私は、さっぱりわからない。
 そして、別の看護師に「えっ?お茶飲んだんですか?」と聞かれた。「ええ。飲んでも良いんですか?って聞いたんですけど、良いんじゃないですか、って言われて」と言うと「どのくらい飲んだんですか」と聞かれた。正直に答えると「手術当日は、飲むこともダメです!説明あったはずですよ!」と叱られた。
 ……説明。……あったかもしれないですね。
 悲しくなった。こうやってこの人は、お年寄りにも注意しているのだろうか。年配の方は、私以上に一度に説明など頭に入らないだろう。言われたことも覚えていないだろう。説明、あったかもしれないけど忘れてしまった、なんてことも山のようにあるだろう。それをこんな風に言われたら、悲しいだろう。色々忘れてしまったって、感情はちゃんと動く。悲しかったし、腹立たしかった。自分の落ち度ではあるけれど、連携はまったくないのだろうか。当日、手術がある人というのを把握していないのか。そしてその人にはお茶や色々配ることはしないなど、管理していないのだろうか。
 布団に戻ると涙が出た。
 手術前でものすごく不安なのに、あんな言われ方。そしてその人は、どういうつもりか、わざわざ枕元に来て「これは捨てさせていただきます」と、まるで置いているとまた私が飲んでしまうとばかりにやってきた。そして私が「これを持っていくと元気が出る」と思って家から持ち出したマグカップを取り上げて行った。彼女が返してくれることはなく、ずっとナースステーションのカウンターに置きっぱなしにされていた。洗われることもなく。うえーん。後で他の看護師に断って、自分で持って帰ってきた。
 手術後も、何も口にしてはいけなかったので、点滴で水分は足りているはずなのだが、喉に何かを通したくて仕方がなかった。水分を摂るというのは、喉を潤すという面でも大事なんですね。何かを飲み込みたい気持ちってあるもんだなあとしみじみしたものだった。
 結局その看護師とはその後、喋る機会もなかったが、他にも看護師はたくさんいたので、わからないことがあれば、他の人に聞いた。それにしても、やっぱりそれぞれに言うことが違って戸惑い続けた。
 病室にいる人たちも、何人か身内に愚痴を言っていたが、「皆言うことが違う」という内容が多かったように思う。そして、自分を周りの人にどう印象付けるかというのは、そういった気持ちをどう表現するかということなんだなあということを強く感じたのだった。