今回の一週間の入院に当たり、かなり小さい部屋に八人押し込まれていた。大部屋で構わなかったし、こんなものだと思っていたが、出産の時と違い、色々な事情で入院している人がいるので「ああそういうものか」と気づいた。
 入院のお見舞いに行ったことがないわけではないのだが、その時だけだし、周りを気に掛けるということはなかった。父が肺気胸で入院した時はよく覚えている。もう少し広い部屋だったように記憶しているし、印象的な同室の人はいたが、やはりそれほど周りを気にかけなかった。近くに住んでいた家族として、もっと顔を出せば良かったと今となっては思う。入院の病室に入るというのは、どうも遠慮が強く、気が引けてしまっていた。
 八人いれば、色々な人がいる。消灯すると必ずオナラを何発もするおばあさん。彼女は、数時間おきに突然、おじさんのように「カーッ!!ペ!!」とやるので、毎回びっくりしてしまった。何の予兆もなく、突然である。しかもたった一発。でもそれ以外は知的で品の良い感じだったので、そのギャップを面白く感じてしまい、毎晩のオナラには「ええ〜〜……」と思いつつ、なんだか憎めない人であった。他には症状が重くてずっと辛さを訴えうなっている人。看護師や医者の前では感じよく振る舞っているが、身内には愚痴を大きな声で言いたい放題の人。演歌を大音量で流す人。携帯で平気で喋る人。元気そうなのに、何故か突然倒れる人。色々いて、やっぱり何となく滅入ってしまう気分にはなった。隣りの人のテレビが、カーテン越しとは言え、すぐ横で、イヤホンを持ってきていないらしく(これも出産した病院では準備してくれていた気がするのだが)、いつもものすごくよく聴こえた。1000円のカードを買うと12時間観ることができるという制限があるのだが、彼女は平気でつけ放題にしていて、遠慮がなかった。しかし時間外に使うことはなかったので迷惑はなかったし、実はその彼女の付けている番組に、何度かありがたいなーと思うことがあった。だって自分がテレビを使わなくても、内容が聴こえるので。特にニュースなんかは便利であった。もうその音だけで、充分食事も楽しめたくらい。カードなんて使わなくて済む。しかし。一度彼女はミステリーを観ていたことがあった。ドラマをあまり観なくなっている私は最初興味がなかったのだが、耳に入ってくる台詞などで、段々内容がわかってしまい、そうかそうか、そういうことになっているのだなと憶測できていた。それでもまあ何となく聞き流していたのに。クライマックスにさしかかり、どうやら写真を見ているシーンで。「ここに、もう一人いたわ。この人よ!!」との台詞。そこで私は我慢ができなくなってしまった。「この人……。……って……誰?!」。こればかりは、その映像を観なければ「この人」がわからない。根負けした私は、同じ番組を付けた。音はなくて結構。後ろから聴こえている。
 ……。そしてそのまま私は、その番組を観終えてしまった。
 その隣の方、私より15歳ほど上に見えたが、盲腸で入院したらしかった。お見舞いに来たおじさんが「盲腸?今さら?!」と爆笑していた。ご家族や友人など、なかなか気さくで明るく、温かい人に囲まれているようだった。彼女は間もなく退院した。