アメリカで知り合った夫の出現は、そうした私の気持ちをまったく気負いのないものにしてくれた。夫は完全に日本的であったが、知性で外国人たちの考え方を理解し、帰国子女である私を知ろうとしてくれた。そして何より夫には「表現力」と「素直さ」があった。気難しく不安症で、家庭の影響も強くあったが、話していくうちに付き合う期間が長くなるうちに、彼の表情の微妙な変化を感じ取れるようになり、リラックスしたムードは私の心を解きほぐしてくれた。もう周りの目を気にしなくて良いと思った。が、結婚すると周りの目は違い、周りに気を使って胃潰瘍になった。
 やっとそれも落ち着いて息子も生まれ、子育てに奮闘していたが、その過程で、自分の育ってきた環境をまた生き直すことになることは段々と知っていった。
 大変だったが、幼稚園では息子のようなタイプに対しても個性を尊重してくれたため、息子だけでなく、私も伸び伸びと生活できたように思う。あの空間での経験は本当に感謝しかない。まあ息子自身の育てにくさは別として。
 そして息子が小学校に入ってから、私の新たな葛藤が始まってしまった。
 帰国子女であったことを嫌でも思い出され苦しんだ。日本の教育の息苦しさが、自分が抑え込んでいた分、息子の時にはもっと強くなって苦しかった。窮屈で憤慨することが多かった。参観日や行事があって学校に行くことになっている前日は、決まって薬が必要だったし、当日は友人にメールで励ましてもらいながらなんとか足を向かせた。
 でも、私の周りの何人かの友人たちの理解があり、私は支えられた。本当にありがたい存在であった。帰国子女であることを知り、受け止めてもらった上で、さらに「そんなこと問題ではない」ではなくて「あなたってそうなんだ」と理解されながら付き合ってくれる友人たちとは今でも続いている。母親友達としてなので、今後もどの程度続いていくかわからないが、「帰国子女である私」を度々出しても嫌みと言わずに付き合い続けてくれる彼女たちはなかなか良い友達だと思うのだ。
 私は自分が帰国子女であることをこれからはもっと自覚して生きていくと思う。
 一人カラオケで気が付いた自分が帰国子女であることの自覚。たかだか「まあまあの発音」と「少々の聴き取り」と「ちょっとしたニュアンス」を感じることを誇りに思おう。数字を数えながら英語が頭を渦巻いている時も、あっ私の頭の中は複雑なんだなと思う。そしてこんな自分を認めようと思う。私にとって「こういうものが良いなあ」と思う教育についても自信を持ちたい。やっと気が付いた。でもやっぱりこういう自分をアピールすることには自信がない。それがどうした、などと反発されそうだ。アピールする必要はないのかもしれない。でももっとこういう自分を大事に愛おしく思うことにしよう。まだまだ小さな一歩である。