緊張しない方だけど、緊張したことがある場面を幾つか書いてみている。
 教室で発表する時、自分の意見を言うことが気持ち良かった。もちろんそれは、いじめられていた時期を脱した後だったし、先生やクラスメイトも理解ある姿勢だったからだと思われる。中学以降も、発表する時に緊張するということはなかった。間違えてもあまり気にしなかった。
 でも、札幌の某インターナショナルスクールで教えたたった二か月足らず、私は緊張しっぱなしであった。何故なのかあれも不思議だ。大学生の頃、さんざん塾で教えてきた。中学受験生を抱える責任ある立場もまかされた頃もプレッシャーはあったけど、かなり割り切ってしまっていたので緊張していなかった。でもインターナショナルスクールで、興味を引く授業をやり、今思い返しても、生徒の立場でも、面白い授業をやったと思うのだが、私の声はずっと上ずって震えていた。なんでしょうね。あれで疲れ果てました。
さらに子供ができてから緊張する場面は増えた。幼稚園で委員をやっていた時に、ある行事の感想を先生と保護者同士で言い合うことになり、そこで私は自分が声を出しづらくなっていることに気づいた。くぐもった震える声で話す私に、先生たちは「頑張って」とニコニコ聞いてくれていた。その頃からちょっとでも人数が増えると緊張してしまうようになっている自分に気づき、誰か特定の人の顔を見て話せば少しはマシだということにも気づいた。
 さて今回の緊張の場面。
 やっぱり、子供に関する集まりである。クラス懇談。子供が小学生の間も、たった4〜5人の前でも緊張するようになっていた私なので、緊張するだろうということはわかっていた。それでも15人くらいだし、知っている人もいるし、顔を見て話せば大丈夫と思っていた。ところが苦手な「最後の方」に順番が回って来ることに。いっそ1番目か2番目に話せたら、何も準備しないうちにあたふたと話せて良いのだが。そしてどうやら私が一番最後になってしまったと気づいた。5人くらい前まで自分が何を話そうか考えは浮かんでいた。でも私は律儀に皆の話をちゃんと聞こうと、一人一人の内容を「へー」とか「ふーん」とか思いながらしっかり耳を傾けていた。そして自分の番が回ってきた時に「アラ?」……また来た!あの面接の時以来だ。「真っ白」ってやつだ。でも何とか年の功。「えーっと……なんだっけ?」とかエヘエヘ笑いながら何秒かをしのいだ。そしてそうやっている間に思い出したのだ。ああよかった。でも話している間中、なんだか浮足立っちゃって、話がフワフワしていた。ありがたいことに、知らない人たちまでも笑顔でウンウンと頷いて聞いてくれていたので、良かった。
 そんなわけで、すっかり緊張するようになってしまった私は、大勢の前で話すのが苦手になった。昔はそんなことなかったのになあ。夫は場慣れって言うしそんな気もしている。でも慣れる場もないなあ。慣れるまでも大変なんだろうなあ。