いつの頃からだろう、自転車があまり好きではなくなった。
 子供の頃は大好きだった。乗り始めのコマ付きの自転車をガラガラいわせて、家の前で乗り回していた。確かトイザらスで買ったと思う。選んでから店の裏で引き取った時のワクワク感も覚えている。デザインがめちゃくちゃ好きで、まさに「愛車」だった。
 帰国後もやっぱりガラガラと乗り回していた。日本ではちょっと変わったデザインだったかもしれないけど、学校から家が遠かった私は、あまり学校の友達などに「変わってる」だのやいのやいの言われることなく、愛車を乗り回した。家の前を行ったり来たり。
 その後、市内で引っ越したのが三年生になる頃。学校のすぐ近くに住んだ私は、周りの自転車事情を知ることとなり、どうやら皆はコマ(補助輪)が取れてきているようだと気づいて、練習することにした。当時、学校の運動場を自由に使って良かったので、自転車もそこで練習した。父が後ろについて一生懸命押してくれた。確か少年野球部が周りにいたのに、私は少し恥ずかしいくらいで、頑張った記憶がある。ちょっと長く押し続けてくれている気がしてふと後ろを振り返ると、父は数メートル後ろにいて「あれっ?!」とびっくりした拍子にこけた。それから「こげるようになった!」と喜んで、父に言われるまま、運動場を一周してみた。その一周の間に何度もこけて、少年野球部の子たちがニヤニヤしていていやだった。でも二周目にはこける回数も減った気がする。それからもう私は嬉しくて嬉しくて、住んでいたマンションの周りを文字通り、「乗り回した」。駐車場や道路は、それまで住んでいたところより広くて交通量も少し多めだったので、何度か危険な目に遭ってしまったが、それでも無謀に乗り回していた。片手ハンドルもできるようになり、男子の両手なしに憧れた。挑戦もしなかったけど。
 乗り回して得意になっていたのが10歳の頃。
 それから25歳の頃、夫とサンフランシスコでレンタサイクルをして街の中を乗ることに。ところが、15年ぶりくらいに乗ると、ゆらゆらとして仕方なかった。あまりの必死の形相に、通りすがりに「よう!そんなで大丈夫かい?」と笑っていた外国人が、ちょっと引いていたのを覚えている。本当にこの子は大丈夫なのかと。
 そもそもヘルメットがなかなか入らなくて、レンタサイクルの店員に相当笑われた。
 女性モノの一番大きいのでも結構キツかったのだが、無理に「入る入る!!」と言い張ってかぶったので、夫も店員も笑っていた。
 疲れ果てた私は「こんなに自転車ってうまく乗れないものだっけ」と、少々苦い思いをした。
 それから時々レンタサイクルをしたのだが、その度にどうもおっかなびっくりなのである。ただ距離が長くなってくると、途中からスイスイで時間はかかれど大丈夫なことはわかった。幼い息子を後ろに乗せて、二人でこぐ楽しい自転車に乗ったこともある。
 しかしである。
 自転車が苦手になった理由がさらに確かなものになってしまった。