そして、彼女に色々打ち明けているうちに、私はあっちにフラフラこっちにフラフラしていたことに気づいたのだ。そして皆の一番や二番になりたかったのだと、自分の嫌な部分に気づいた。
 これは、まさに今、自分が嫌っている女性像である。私は子供ができるまで、一人でいることにもためらいがあった。孤独を怖がっていた。今の私は、一人でいられない人を軽蔑し、大勢で何となく誰かと迎合している人を軽蔑している。個人個人で付き合うことを好み、積極的に悪口を言う人は苦手、誰とでも仲良くする人を信用しない。意見が違う人はそこを認めた上で好きであれば、付き合いを続けるし、いやならすぐに付き合いをやめてしまう。親しい友達の一番や二番にこだわらない。相手と続けるかどうかは、自分がその人を好きかどうかだけである。こんな自分になれたことを誇りに思うと同時に、自分にも過去、「今嫌いな女性の部分」があったことを発見することになった。
 そうか、私には、「自分の嫌いな女性の部分」が、過去あったのか。それもかなりしっかりと。
 だからこそ、今そういう人を簡単に嫌いになってしまうのかもしれない。
 それを認識することは、ああそうだったのか、情けないなあ恥ずかしかしいなあという思いも沸き上がったが、どちらかと言えば「へー!私ってそんなヤツだったんだ!」という驚きの方が強かった。私は過去の自分を受け入れるしかなかった。
 今の自分をむしろ誇りに思える。私がこうなったのは、元々あった成分と、それをかろうじて大事にできた自分がいたからである。又、夫や子供のおかげでもある。周りと考え方が違っても、自分の考え方ややり方、一つ一つに関して夫と話し合ったり、子供が反応を示してくれたりしたために、納得して行動することができた。そしてこういう性格のおかげで、夫との接し方を考え、息子との接し方を考えてみた。それに間違いはあっただろうし、それについてもこれから書いていくが、そうやって自分で考えてきたことが、自分を育てていっていたようだ。人と違って良いという信念は、幼い頃外国で育った時に持ち始めていた。「本当に‘違う’という意味がわかっている人」とマイノリティーの立場にあった人に言われて良い気になっていたものの、いやいや本当にその意味がわかってソシャクできたのは、夫と結婚し、子供ができてからである。
 今も時々、違って良いのか大丈夫かという自分の中の縛られた常識、世間体が頭を持ち上げかけることはあるが、今回こういったことを発見したことは、むしろ「これで良いんだ」という自信につながったように思う。
 子供に関しては、あらゆることを自分の責任ではないかと考えるのだが、息子を褒めることを心掛けるにつれ、そういった部分をつぶさないでいたことや、素敵な部分を育んだことに対して、自分も少しは関わっていると思うと、自信につながるようになった。常識という枠におさまりきらない息子を誇りに思うし、そんな誇りに思える息子と接してきた自分も良いんだと思える。